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◆大崎事件

大崎事件

2013/11/17更新

事件の概要

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 1979年(昭和54年)10月15日午後2時ごろ、鹿児島県曽於郡大崎町井俣の農業・Aさん(当時42歳)が、自宅牛小屋の堆肥の中から腐乱死体で発見されました。Aは、3日前の夜泥酔して自宅から約1キロ離れた用水路の中に自転車とともに倒れているところを、通りがかった村人に引き上げられて家まで軽トラックで送り届けられた後、所在不明となり、捜索願が出されていたのです。警察は、当初から近親者の犯行と見て捜査を開始し、18日、同一敷地内に住む長兄・中村善三さん(当時52歳)と次兄・中村喜作さん(当時50歳)を、続いて27日には喜作さんの長男・中村善則さん(当時25歳)を、さらに30日には善三さんの妻であった原口(当時中村)アヤ子さん(当時52歳)を逮捕。原口さんは一貫して否認しましたが、他の3名は自白して11月1日に起訴、また原口さんも3名の供述を元に11月20日起訴されました。起訴日は違うものの、公訴事実は同一で、原口さんが首謀者となって酒乱の邦夫さん殺害による保険金取得を謀議し、原口さん、夫の善三さん、義弟の喜作さんの3人で、邦夫さんを押えつけたうえ西洋タオルで絞め殺し、原口さんと甥の義則さんで牛小屋堆肥に死体を遺棄したというものです。

裁判の経過

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 裁判では、原口さんと他の3人は別々に起訴されましたが、裁判官の構成は同一。原口さんが不同意とした供述証拠が他の3名の事件では同意書面として取り調べられる関係となり、予断を排除して裁判の公正を保つ保証は事実上ないままに審理が行われました。裁判開始半年後の1980年(昭和55年)3月31日、鹿児島地裁は双方の事件について判決を宣告。判決は、保険金目あてという裁判中に崩れてしまった動機については検察主張を排斥しましたがその他は全部検察主張を認め、原口さんが懲役10年、夫の善三さんが懲役8年、義弟の喜作さんは懲役7年、甥の善則さんは懲役1年の各実刑でした。他の3名は控訴せずに服役しますが、原口さんは控訴・上告して争ったものの、福岡高裁宮崎支部は同年10月14日、最高裁判所は翌1981年(昭和56年)1月30日、いずれも棄却の判決により確定し、再審をめざして仮出獄を拒否し、刑期満了(1990年7月)まで服役しました。
 出獄した原口さんは1995年(平成7年)4月19日鹿児島地裁に再審請求を申立。第1次再審請求は「被害者の死因」を立証命題として、旧証拠である城鑑定の証拠能力を減殺する法医学鑑定を新証拠として提出し、2002年3月26日に鹿児島地裁は再審請求を認めました。しかし、即時抗告審の福岡高等裁判所宮崎支部はこの新鑑定の「明白性」を否定し、2004年12月19日に再審開始決定を取り消し、最高裁も2006年(平成18年)1月30日にこの棄却決定を支持しました。

第2次再審請求

 原口さんは「私は犯人ではありません。悔しくて、このままでは死ねません」と訴えており、2010年、鹿児島地裁に第2次再審請求の申し立てを行いました。また、これまで、原口さんのみが再審請求人となっていましたが、2011年に、原口さんの元夫(故人)の遺族も再審請求の申し立てを行いました。

裁判所が事実調べを行わないという重大な事態

 大崎事件第2次再審で、2013年3月6日、鹿児島地裁は一切の事実調べを行わず原口アヤ子さんの再審請求を棄却する不当決定を言い渡しました。弁護団が提出した新証拠の事実調べを行わないだけでなく、弁護団が再三にわたって請求した捜査機関の手持ち証拠の開示請求も無視するきわめて不当な訴訟指揮でした。
 福岡高裁宮崎支部では、裁判所が証拠のリストの開示を検察に勧告し、114点の証拠が開示されました。2013年10月には、法医学者の上野正彦元東京都監察医務長が、「共犯者」とされた人の「自白」であるタオルでの絞殺ではない」と証言し、「自白」が信用できないものであることが明らかになりました。再審開始にむけて重要な局面にきています。 

守る会の連絡先/署名など

  大崎事件原口アヤ子さんの再審をめざす会 
  鹿児島県曽於郡大崎町仮宿1123 稲留様方
  

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