えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

「奥西さんの冤罪晴らす」

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 1961年、三重県名張市で懇親会で出された毒入りのぶどう酒を飲み、女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件。その犯人とされ、49年間無実を訴えている死刑囚・奥西勝さん(84)は獄中から裁判のやり直し(再審)を求めています。全国各地の名張事件の守る会の連絡組織である「名張事件全国ネットワーク」の事務局次長で、奥西さんの面会人である、愛知の田中哲夫さんにお話しを聞きました。(3/15救援新聞)

事件と出会う

「奥西さんのお母さん、タツノさんが涙を流して支援を訴えていて....それが支援のきっかけです」。
 法律事務所で働く田中哲夫さん。田中さんの父親は、1952年、長野県で起きた日本共産党員らが駐在所などにダイナマイトを仕掛けたとして起訴された謀略事件・辰野事件の被告人の一人でした。国民救援会に助けられ、自らも何かをしたいとの気持ちがありました。
 田中さんが今の法律事務所に来た89年、愛知では、死刑判決を受けた霜上則夫さんが無実を訴えていた石川・山中事件が最高裁から名古屋高裁に差し戻され、全国の支援者が裁判の傍聴に訪れていました。90年7月に無罪判決を勝ち取った後、名張事件の守る会を準備し、91年1月に愛知の守る会が、2月に名張ネットが生まれました。

面会人として

 死刑確定者との面会は親族に限られていますが、07年に法律が改正され、長年要求していた特別面会人の枠が広がり、田中さんも面会人になることが叶いました。「奥西さん直接会って話をしたいと思っていて。だからうれしかったし、緊張もしました」。
 奥西さんは「穏やかな人」だといいます。「最初の面会の前年に、奥西さんと同い年だった私の父が亡くなったのですが、奥西さんから『親父さん残念だったね』と励まされて『そんなことまで気にしてくれているんだ』と思って驚きました。その後もできるだけ奥西さんの面会に通っていたら『仕事は大丈夫なんですか』なんて反対に気を使ってもらって」。
 昨年、最高裁は最高検に対し、意見があれば提出するよう異例の勧告をおこない、最高検が答弁書を提出、これに対する反論として今年1月29日、弁護団は意見書を提出しました。その前日、田中さんは奥西さんと面会し、「『明日、提出ですね』と声をかけると、目にグッと力が入って、『葬だね』と深く、力強くうなずいて。最終盤のたたかいへの期待が伝わってきました」。
 2月19日、最高検はこの弁護団の意見書に対する反論書を再度提出しましたが、「奥西さんは動揺はしていない」と田中さんは言い切ります。「それよりも高齢ですから、これ以上時間をかけられたらたまらない、という思いが強い」と、事実上の「審理引き延ばし」となる検察の反論を厳しく批判します。

運動の広がり

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 愛知では97年8月から、毎月28日に大須観音で宣伝行動を続け、通算150回を越えました。「『がんばってください』と声をかけてくれる人が何人もいて、感激します」と支援の広がりを語ります。「奥西さんにこんなところから参加した人がいたよ、話をすると本当に喜んでいます」。
 「だからこそ全国からの参加で成功させたい」と毎年この時期におこなわれている3月27日、28日の第28回全国現地調査への思いを語ります。「この現地調査が全国の支援の大きさを最高裁にアピールする力となります。最高裁の異例の動きも、判断に迷っているのは間違いない。名張事件を再審へ押し込む現地調査です。再審を求める声を署名や要請ハガキ、要請行動に結実して、最高裁に届けてください」。
「辰野事件は無罪判決まで20年かかりました。名張事件はもうすぐ50年。奥西さんは命を削っている」とこれまでの支援を振り返ります。「最近の奥西さんは最高裁の決定が近づき、力がみなぎっているという感じです。足利事件、布川事件の再審の流れもある。これが奥西さんの冤罪を晴らす最後の機会。私たちもこれに応える運動を展開させたい。力をお貸しください」。
 いま、国民救援会と名張ネットワークは、最高裁判所は検察官の引き伸ばしを認めず、一刻も早く再審開始を、との新しい要請ハガキに取り組んでいます。
田中さんは現地調査の前に奥西さんと面会します。「全国の皆さんが、奥西さんの無実を信じている。奥西さんも待っててね、と伝えます」。

《要請先》〒102-8651 千代田区隼人町4-2 最高裁第3小法廷・堀籠幸男裁判長 

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