えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

えん罪事件と誤った科学者の鑑定

シリーズ えん罪事件と誤った科学者の鑑定

国民救援会中央本部顧問
山田善二郎



えん罪事件と誤った科学者の鑑定

 「再審・冤罪事件の思い出と教訓」のコーナーは、しばらくお休みします。それに変えて、数回にわたり、国民救援会顧問の山田善二郎さんに「えん罪事件と誤った科学者の鑑定」と題して執筆していただいた文章を掲載致します。

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 警察庁科学警察研究所(科警研)の粗雑なDNA鑑定の結果、殺人犯人と断定された足利事件の菅家利和さんの手記『冤罪 ある日、私は犯人にされた』(朝日新聞出版)を読んで、福島章・上智大学教授(当時)が、菅家さんが犯人であることを前提に彼の精神鑑定をしたということを知りました。

 福島教授は、菅家さんを「代償性小児性愛者」と断定したその理由は、菅家さんが「幼稚園バスの運転手を続けていたからだ」と証言したといいます。この学者の目には、幼稚園の運転手はすべて小児性愛者に見えるのでしょうか。良心を失った科学者の鑑定によって冤罪が完成させられる裁判の恐ろしさをあらためて痛感しました。

 そこで私は、冤罪事件の犠牲者救援運動の一助に、権力に迎合した科学者が真実を無視した偽りの鑑定をしたために、無実の者が無実を訴えながら死刑あるいは無期などの実刑を受けたいくつかの事件を調べてみました。えん罪は強制された嘘の自白、他人の供述、捜査官らの偽証、証拠の隠匿や偽造など様々なもので組み立てられます。ここではその中の科学者の科学を無視した鑑定や証言などだけを取り上げてみました。裁判の全容は、それぞれの事件についての出版物をご参照下さい。

白鳥事件と磯部鑑定

 1952(S27)年1月21日、札幌市内で白鳥警部が射殺された。同年10月、日本共産党札幌地区委員長の村上国治が首謀者とみなされ逮捕、55年8月札幌地裁に起訴される。57年無期懲役、札幌高裁は60年懲役20年を宣告、63年10月最高裁が上告棄却、国治さんは網走刑務所に収監される。

 有罪とした証拠は、他人の嘘の自白、その自白により札幌郊外の幌見峠の山林から発見されたとされた2発のピストルの弾丸と射殺された白鳥警部の死体から取り出された弾丸は同一のピストルから発射されたものという、磯部孝東大教授(当時)の弾丸鑑定だった。

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 ところが再審請求に基づく事実取調べの中で、67年11月、磯部鑑定は、米軍極東犯罪捜査研究所のゴードン技師の、内容も誤った鑑定を下敷きにしたことが判明した。検察側は、磯部鑑定以前になされた、「3発の弾丸は同一のピストルから発射されたものではない」との科警研が行った鑑定書を隠して法廷に出さず、磯部鑑定を出したのだった。
 札幌高裁は、「右弾丸の発見の過程において、あるいは捜査機関の作為が介在したのではないかとの疑いを生み、ひいては、事件全体が捜査機関のねつ造にかかわるものではないかとの疑いも生じないではない」とまで述べながら、再審請求を棄却した。

 75年5月、最高裁は「証拠弾丸に関し第三者の作為ひいては不公正な捜査の介在に対する疑念が生じうることも否定しがたい」と認めたが再審請求を棄却した。だがこの決定は、それまで再審事件には適用されなかった裁判の鉄則「疑わしきは被告人の利益のため」は再審事件にも適用すべきである、無実を示す新しい証拠は、単独に判断するのではなく、有罪を認定するにあたって採用した旧証拠と「総合して判断すべき」であるなどの新しい見解をしめした。この「白鳥決定」の後、財田川、免田、松山、島田など死刑確定事件や徳島事件などが再審無罪への道を開かれた。

弘前事件と古畑鑑定

 1949(昭和24)年8月6日夜、弘前大学松永教授夫人が殺害された。那須隆さんが犯人として逮捕、起訴された。一審は無罪、検察が控訴し1952年仙台高裁は逆転有罪の懲役15年。有罪の決め手は、那須さんの白い開襟シャツと白いズック靴についていた血液は被害者の血液型と同じとされた鑑定結果。日付順に鑑定内容が変化する4通の鑑定書があり古畑鑑定はその一つ。

 警察が那須さんの「開襟シャツ」を最初に押収したとき、「帯灰暗色」の班痕があったとなっているが、古畑鑑定などでは「赤褐色」と記載されている。血痕の数も違い、後から付着させた疑いもあった。53年最高裁で上告棄却となり服役。古畑教授は『法医学秘話』で、彼の鑑定によって那須さんを有罪としたことをとくとくと述べている。
 71年真犯人が名乗り出た。74年仙台高裁は那須さんの再審請求を棄却したが76年仙台高裁で異議申し立てを認めて再審開始を決定。77年2月無罪となる。判決は、古畑鑑定を「証拠にならない」として無罪とした。

財田川事件と古畑鑑定

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 1950(S25)年2月28日、香川県三豊郡財田村(当時)でヤミ米ブローカー殺害事件が発生。谷口繁義さんが逮捕され、強制されたウソの自白をもとに香川地裁丸亀支部に起訴され、1・2審で死刑。57年上告棄却で確定、谷口さんは大阪拘置所に収監。谷口さんは獄中から裁判所に無実の訴えをだした。高松地裁丸亀支部はこれを再審請求と扱い審理した。矢野伊吉裁判長は陪席裁判官の反対で再審開始を決定できず,裁判官を退官して谷口さんの弁護人となり再審請求。請求は地裁・高裁で棄却されたが、76年10月最高裁は白鳥決定を引用して棄却決定を取消し高松地裁に差戻し。高松地裁での再審裁判の結果、59年3月無罪となる。
 
 谷口さんを有罪とした物的証拠は谷口さんの着ていたズボンと、これに付着していたとされる血液型は被害者のO型の血液と同じだとした2通の古畑鑑定。当初このズボンを鑑定した岡山大学の遠藤鑑定人によると、小斑点が認められたがあまりに少量で、血液型の鑑定はできなかったとしていた。だがその翌年、古畑教授がなしたとされる第1鑑定は4個の微量の血痕をまとめて鑑定した結果O型だったとされ、第2鑑定には、それまでは見つからなかった血痕が発見されたとされている。しかもこの古畑鑑定なるものは経験も未熟な大学院生に行わせたものだったことが明らかにされた。

 ところで、この谷口さんの自白には、被害者を刺身庖丁で切ったり突いた後、被害者の着物で両手と包丁をふき、その手で被疑者の胴巻きをはずして中の財布から金を盗り、帰る途中、川で手や包丁に着いた血を洗い流したとなっている。しかし被害者の胴巻きには血はついていない。このことについて検察官は松倉豊治氏に「胴巻きに血がついていなかったのは不自然ではないだろうか」との趣旨の鑑定を求めた。松倉氏は、何の実験もせずに、犯人が胴巻きを取り出す前に手についた血液を拭ったのが事実とすれば、手についた血がよく拭われたことにより胴巻きに血液が付着しなかったことが可能である」という趣旨の回答をしている。

この人物は名張事件の奥西勝さんの歯形の鑑定人か?(つづく)



えん罪事件と誤った科学者の鑑定

【前回取り扱った事件と鑑定】
 白鳥事件と磯部鑑定
 弘前事件と古畑鑑定
 財田川事件と古畑鑑定

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松山事件と三木・古畑鑑定

 1955(昭和30)年10 月18 日、宮城・東松山市で一家4 人殺人放火事件が発生。約2ヶ月後の12 月、斉藤幸夫さんが東京で逮捕、起訴された。公判では一貫して否認したが、仙台地裁で死刑判決、60年最高裁で上告棄却とされ判決が確定した。

 証拠の柱は、斉藤さんの取調べ段階で一時供述したうその自白と、彼が使用していたとされる掛布団(実際は弟・彰君が使用していたもの)の襟当についていた80 数群もの血痕は被害者のものとした三木敏行東北大学法医学教室助教授と、東大法医学教室古畑教授の鑑定である。古畑教授と三木助教授とは師弟の関係にあり、古畑氏は三木鑑定を擁護した。

 この掛布団は事件2 カ月後の12 月8 日に押収され、翌9 日三木助教授に敷布などと一緒に鑑定嘱託され、26 日、同助教授より「襟当に血痕が付着していた」との電話があった。三木氏は、鑑定書はS32 年3 月に鑑定が終わって捜査当局に返却するまで一度も警察に渡すことなく大学の法医学教室に保管していた、と証言。

 ところが、第一次再審請求棄却に対する即時抗告の事実取調べの過程で、「掛布団の裏には、人血痕は付着していないものと認める」と記載されている12 月22 日に掛布団を鑑定した宮城県警の平塚静夫鑑識技官の鑑定書が明らかにされた。

 三木鑑定の後に鑑定した平塚鑑定には「人血痕は付着していない」と明言されている。同一物件について三木鑑定と平塚鑑定は正反対の結果となっている。この平塚鑑定書は、再審請求の段階まで明らかにされなかった。こうしたことから、警察が掛布団を押収したのちに工作して人為的に付着させたのではないかとの疑いが生じた。

 また被害者の血液型と同じ血液型との鑑定も誤りであることも科学的に立証された。そこで弁護団は平塚技官らの証人調べを要求した。だが裁判所は真実が明らかになることを忌み嫌ったのか、これを拒否し即時抗告を棄却した。裁判所が法医学者の疑問にみちた鑑定(=臭いもの)に「蓋」をしたのだ。
 69年に提出した第二次再審請求が認められ再審開始となり、仙台地裁での再審公判で平塚技官が証言台に立った。84年無罪判決、確定。

島田事件と古畑鑑定・石山鑑定

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 1954(昭和29)年3 月10 日、静岡県島田市で幼女が誘拐、3 日後に大井川ぞいの雑木林で死体となって発見された。5 月、島田警察は知恵遅れで放浪生活中の青年赤堀政夫さんを島田市に連れ戻したのち逮捕、厳しい拷問を加えて自白させ、地検は彼を起訴した。58 年5 月23 日死刑、60 年東京高裁で控訴棄却、12 月15 日最高裁で上告棄却となり死刑が確定した。

 有罪判決は、赤堀さんが拷問で強制されたと訴えている自白調書は任意である、「凶器」とされた石は、彼の自白に基づいて捜査したところ発見されたもので、そのことは法学的に間違いないとする古畑種基鑑定と証言で構成されている。

 しかし、凶器と断定された握りこぶし大の石は、被害者の死体が発見された直後、つまり赤堀さんが逮捕されるはるか以前に、島田警察署の刑事部屋の机上に置かれており、警察官が「これが凶器だ」と、訪れた静岡民報の記者に語った証拠がある。赤堀自白によって発見されたものではない。

古畑教授が死後の傷を生前の傷と証言

 検察側は赤堀さんに死刑を求刑、弁護人らは無罪を主張し結審となった。それから2 ヶ月後、裁判所は突然、職権で公判を再開し古畑教授に、死体が発見されたその日に行われた静岡県警察医・鈴木完夫氏の『死体鑑定書』に基づいて鑑定を依頼した。鈴木医師の鑑定には「胸と陰部には生活反応はなく死後のものと」記載されていた。

 もし石で殴ったならば、その石には被害者の皮膚や肉片、血液が付着していると、素人でも考えるはず。だが古畑教授がその石を鑑定したという記録はない。そして彼は医学上の根拠も示さず、「胸の傷に生活反応がないから死後の傷だと見るのは早計。幼女の場合は血管が十分に発達しておらず、毛細管の血圧は成人のように大きくなく、生前の傷でも皮下出血がないことがある」との鑑定書を提出し、再開公判で「胸部の傷はドン体の作用によるもの、恐らく生前のものである。その傷は石で殴打すればできる」と証言した。

 弁護人は「鑑定人の権威に盲従することのないよう」強く弁論した。60年5月、静岡地裁は古畑証言を採用して赤堀さんに死刑を宣告、東京高裁で控訴棄却、同年12月15 日、最高裁が上告を棄却して死刑が確定した。第4次再審の事実取調べの段階で、古畑鑑定の誤りが事実に忠実な法医学者によって明らかにされ、さらに事件当日の赤堀さんのアリバイや、凶器とされた「石」は凶器でなかったことなどが証明され、東京高裁の決定を経て、静岡地裁での再審開始が決定された。

東大の権威のためだと証言台で力む石山教授

 この再審裁判で、古畑教授の忠実な教え子・石山昱夫教授が検察側の鑑定証人として証言した。これについて、赤堀さんの主任弁護人として生涯を注いだ故鈴木信雄弁護士の追悼文集『鈴木信雄伝』に次のように書かれている。
 「こうして再審公判が始まり、……中略……、とくに石山は、古畑の弟子として、古畑が多くの再審事件において誤判の元凶と指摘されていることが我慢できないらしく、弁護側の鑑定人に対して敵意をむき出しの証言をし、『東大法学部の権威を守るためにやっている』とまで言い切った」。     (つづく)



えん罪事件と誤った科学者の鑑定

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【前回までに取り扱った事件と鑑定】

 ・白鳥事件と磯部鑑定
 ・弘前事件と古畑鑑定
 ・財田川事件と古畑鑑定
 ・松山事件と三木・古畑鑑定
 ・島田事件と古畑鑑定・石山鑑定

 前号で私は、島田事件の赤堀氏に有罪を宣告した判決に重大な影響を与えた古畑種基東大教授(当時)の鑑定と、再審裁判でその誤った鑑定を擁護するために傲慢ともいうべき態度で証言台に立って「東大法医学部の権威を守るために」と証言した、石山昱夫教授のことを紹介した。
 石山教授はえん罪を訴える多くの裁判に検察側の立場に立って証言する学者として有名な人物である。次に紹介する事件は、国民救援会が支援したえん罪事件の裁判で彼の鑑定が採用されず、被告人が無罪となった事例である。

横浜・山下事件と石山昱夫鑑定

 横浜に住む山下章さんの妻・ナミエさんは、長いあいだ重度の心筋症で病床にあった。1984(S59)年3月22日、彼女は自宅の布団の中で死亡した。近所の住民の通報を受けた警察は、ナミエさんがかかりつけていた医師に相談することもせず、一方的に他殺と疑って警察の嘱託医に解剖を依嘱した。嘱託医は彼女の死因を「頸部圧迫による窒息死」と誤診した。警察は、山下章さんが寝ていたナミエさんの頸部を右手で締め付けて窒息死させたとして連行、お前でなければ息子を逮捕するなどと自白を強制して逮捕、検察官は横浜地裁に起訴、公判は死因をめぐり検察側と弁護側の激しい争いとなった。

見えないものが見えたという石山鑑定

 
 検察側はナミエさんの死因について東大法医学部教室・石山昱夫教授(当時)に鑑定を依頼。石山教授は「頸部に蒼白帯があり、表面に「粗ぞう部(ささくれているようにみえる部分)」と認めてよい所見があるから、頸部に外力が加わったことは明白」と断定。作用面積の広い手掌面で頸部に扼圧を加えて扼殺したと、検察側の扼殺説に助け舟を出した。
 だが、内藤道輿保健衛生大学法医学部教授は、ナミエさんの首に「外力が加えられた疑いは全くない」と断言。さらに写真の専門家・東京工芸大学の石川和夫助手は「粗ぞう部」が見えたとする石山教授の判断は無理と証言。横浜地裁は石山鑑定と証言をしりぞけて87年11月、山下さんに無罪を宣告。検察側は控訴を断念、判決は一審で確定した。(※内藤教授は元東大法医学教室教授で石山教授の先輩、島田事件再審裁判でも被疑者の胸の傷は、凶器とされた石で作られたものではないと鑑定証言、赤堀さん無罪の強力な証拠の一つとなった)

元東大法医学教室古畑種基教授と石山昱夫教授の関係

古畑種基教授の法医学についての哲学

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 古畑種基氏は1956(S31)年東京大学法医学教室の3 代目の主任教授。52 年定年退職し東京医科歯科大学に法医学部を新設して教授となり。同60年より12年間、警察庁科学警察研究所所長を歴任した。

 古畑教授は、その著書で「法医学とは社会の治安を維持し、その福祉を増進し、法律の公正なる適用を計るために、必要なる医学的事項について研究する学問」だと述べている。また法医学の目的は「真実を明らかにすることによって真犯人を確定したり、犯罪、中毒等による社会不安を除かんとすることである」とも述べている。(同氏の著書『簡明法医学』)

 真犯人であるか否かを確定するところは、法医学ではなく裁判所であるはず。法医学の目的が真犯人を確定するとの見解は、法医学の道を外れた邪道というべきではないか。
古畑鑑定が有力な証拠とされ有罪とされた弘前、財田川、島田などが、その後再審無罪が確定したのち、岩波書店は同教授の著書『法医学の話』を絶版にした。彼の鑑定によって冤罪が完成された裁判が、相次いで冤罪であることが明らかにされたことが、その大きな理由と考えられる。

古畑教授の哲学の忠実な後継者石山昱夫教授

 石山昱夫氏は1958年東大法医学教室教授となり、退任後、約10年帝京大学法医学教授を務めたが、この間死体の法学解剖を行ったことは一度もなかったという。彼の鑑定は古畑鑑定同様つねに警察、検察の側に立ってなされている。古畑哲学の忠実な後継者といえよう。しかも鑑定をする際は、必ず供述調書を資料として使用すると、彼自身の著書で述べている。

 司法解剖は、その対象とされた死体の死因や凶器などについて、医学の観点から解明するところにある。だが石山氏は、なにゆえ被害者あるいは被告人などの供述調書を鑑定の資料とするのか? その狙いは、警官など捜査権力が想定する「犯罪事実」を医学の装いをもって完成させるところにあるとしか考えられない。

 石山教授が警察関係専門の出版社・立花書房から出した著書『法医鑑定ケーススタディ』がある。この中で彼が、再審無罪となった松山、財田川事件及び一審で無罪判決が確定した山下事件について、これらえん罪事件の被害者の名誉を棄損する文言があるとして、3事件の弁護団が同教授に公開質問状を突き付けたことが、読売新聞88年9月26日夕刊で報道されている。

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 日弁連発行の機関誌「自由と正義」41巻9号は、日弁連人権擁護委員会鑑定問題事例調査研究会による『再び現れた法医学鑑定の危険な兆候』との表題の石山教授批判の論文を発表した。これには、岡部保男弁護士が「石山東大教授法医学鑑定方法論批判」、小島周一弁護士が「山下事件と石山批判」、今村敬二弁護士が「島田事件再審公判と石山批判」と題して、石山教授の権力よりの事実を歪曲するなど非科学的な鑑定を厳しく批判している。

 その内容は多岐にわたって具体的に書かれていて、説得力がある。ここでは今村弁護士の「島田事件再審公判と石山鑑定」から一例を紹介する。彼は検察官から赤堀氏の一通の自白調書をもらった。そこには、被害者が医師で胸を強打されたとき、「フーフー」と呼吸していたとの部分からヒントを得て『心臓盪症』なる剖検所見に全く記載されていない概念を持ち込むことによって、胸部について生前でも出血はしないと主張し、古畑種基教授の鑑定を支持できると証言した。……中略……。

 そして「供述がなかったら、私はこれは判らないと言ったかも知れません。でも供述自身が余りにも真に迫って我々に訴えるものが多い」と供述している。」……中略……「自白の信用性が重要な争点となっている島田事件において、石山教授はたった一通の自白調書からヒントを得て、その自白を前提に鑑定書を検討したにもかかわらず、剖検所見と供述を互いに加味するものだと弁明し、古畑鑑定を支持したのである。」

  「石山教授が支持した古畑鑑定が、弘前大学教授夫人殺し事件でその信用性が否定され、その結果自白の誤りが認められたことや、財田川事件などでその方法論等に疑問が提起されたことなどは周知の事実である。」
 なお、石山教授は、1928(S3年)広島県で発生した「山本久雄老・冤罪事件」(注)の再審請求や、現在国民救援会が支援している大崎事件の再審請求にも、検察側の立場に立って、請求人を犯人とする鑑定をしている。(このことについては次回に紹介します。)(つづく)



えん罪事件と誤った科学者の鑑定

【前回までに取り扱った事件と鑑定】
 ・白鳥事件と磯部鑑定
 ・弘前事件と古畑鑑定
 ・財田川事件と古畑鑑定
 ・松山事件と三木・古畑鑑定
 ・島田事件と古畑鑑定・石山鑑定
 ・横浜・山下事件と石山昱夫鑑定

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 前号の末尾で私は、次号で、石山昱夫教授が大崎事件再審請求審でも検察側の立場に立って提出した鑑定意見の内容などを紹介すると書きました。ところが名張事件の再審請求の特別抗告について最高裁が差戻しを決定した結果、名古屋高裁に向けた再審・無罪要求のたたかいの緊急性から、彼を犯人と断定する上で唯一の物的証拠とされたぶどう酒瓶の王冠の歯形を鑑定した松倉豊治氏とはどんな人物だったか?紹介することにしました。石山教授については、この文書の次の号に、彼が検察側の依頼を受けて行った大崎事件の鑑定意見などに触れながら行います。

名張毒ぶどう酒事件と松倉鑑定

 足利事件の再審無罪確定につづいて、いよいよ布川事件の再審公判が開始され、無罪に向けてたたかいが展開されている。同時に奥西勝さんの雪冤のたたかいは、4月5日の最高裁の差戻し決定にもとづいて、名古屋高裁に向けて一日でも早い再審開始・無罪を求める世論が日々大きく盛り上がっている。名張事件と奥西さんの「ウソの自白」による逮捕から今日までの裁判とその問題点のあらましは次の通り。   

 1961(S36)年3月28日、三重県名張市葛生地区の公民館で行われた「生活改善クラブ三奈の会」の定期総会が終了後の懇親会で、男性は日本酒で女性はぶどう酒で乾杯した。ぶどう酒を飲んだ17 人の女性が毒物中毒になり5 人が死亡、12人が入院するという事件が発生。ぶどう酒から農薬(有機燐製剤)が検出された。

 警察は奥西勝さんを容疑者とみて、彼の家に連日寝泊まりして動向を監視しながら、早朝から深夜まで警察の車で名張署に連行して自白を強制したうえ逮捕した。このような取り扱いは、「令状なき逮捕」に加えて、「代用監獄」を利用した自白強要にまさるもので、違法の上に違法を重ねた人権蹂躙で、厳しく糾弾されるべきだと思う。

 1964年12月、津地裁は奥西自白の信用性を否定して無罪としたが、1969年9月、名古屋高裁は逆転死刑とし、1972年最高裁の上告棄却により死刑が確定し、彼は名古屋拘置所に収監された。有罪判決の柱は、うその自白と懇親会場だった公民館の「いろり」の灰の中から発見されたとするぶどう酒の瓶の王冠の歯形が、奥西さんが逮捕されたのち警察の指示で噛んだ王冠の歯形と一致するとした松倉豊治氏の鑑定と、他人の供述などの状況証拠である。奥西さんの自白調書には、「農薬ニッカリンT をぶどう酒の中に入れて瓶は名張川に捨てた」とあるが、現物は発見されていない。つまり自白を裏付ける証拠は皆無である。

 逆転判決は、奥西さんを犯人とする証拠物件は1つもないにもかかわらず、松倉鑑定を最大の根拠にして奥西さんを死刑としたのだった。
第4次再審までいずれも請求棄却。第5次再審で、殺人に使用したとされる毒物は奥西供述とは異なるものであることや、唯一の証拠とされている王冠の歯形についての松倉豊治氏の鑑定はインチキものだったことが明らかにされた。
 松倉鑑定は、奥西さんが歯で噛んであけたと「自白」させられた王冠の歯形と、これが事件後の検証で噛んだ王冠の歯形とは、顕微鏡写真で見ると一致したという。ところが写鑑定真は、二つの王冠の歯形が一致しているように見せかけるために、一枚の写真を2 倍に拡大した不正なものだったのだ。

 再審弁護団は、このキズ(歯形)を三次元的に測定すると全く一致しないという新鑑定を提出、名古屋高裁は再審請求を棄却したけれど、松倉鑑定はデッチ上げあったということを認めざるを得なかった。松倉氏は、えん罪事件を完成させるためにニセの証拠作りを行ったと非難されても仕方ないといえよう。

 周知のように特別抗告審で弁護団は、奥西さんの無実を明らかにすべく5つの新証拠を示した。だが最高裁は、名古屋高裁に差戻しの決定をしたとはいえ、問題を残している。すなわちこの決定は、弁護団の無実の主張のうち4 つの主張を、納得できるような説明をせずに退けたのだ。その中の一つが歯型についてである。

 決定は松倉鑑定の不正についてはふれていない。そして「……歯または歯とその他の力の複合的作用によって生じた可能性を否定するまでの証明力がなく、………自白の信用性についての判断等に影響を及ぼすものではない」と、弁護団の主張を切って捨ててしまった。最高裁決定は、松倉氏の不正に厳しい姿勢を示すべきではなかったか。ところで松倉氏とは、権力に迎合することで名の知れた学者だったのだ。日弁連が全面的に支援した「山本久雄老・えん罪事件」で1928(H4)年広島高裁に提出した第二次再審請求書には、次のように厳しい松倉教授批判が書かれている。

「他方、検察官は、その委嘱した三上芳雄、松倉豊治(当時大阪大学名誉教授=筆者㊟)及び石山昱夫の各法医学者の再鑑定書、意見書、証言から、扼殺に疑いはないと主張した。しかし、右の両氏は、石山氏を除いては、学界において、また解剖等の経験上でも実績が豊富であるとされていたが、前記加藤翁再審事件前後から、諸他の再審等事件で雪冤に反対する検察側に同調する鑑定を行い続けたことで知られ、本件鑑定等も、ほかならぬ石山氏によっても、信頼性が乏しいとせられたのである。」

 松倉元大阪大学名誉教授は、つねに捜査当局の側に立って学問的よそおいで無根の事実を真実にお見せかけて、えん罪事件の完成に手を貸した学者としてわたしたちの中に名を残す人物の一人といえよう。
松倉名誉教授の山本老事件についての鑑定は、皮肉なことに、松倉氏と同様つねに権力の側にあることで名高い石山昱夫教授からも批判されているという。権力側の立場に足を入れて権力のえん罪づくりに協力する学者の中での葛藤があるように思われる。

 奥西さんは84 歳、弁護団と「名張事件全国ネットワーク」は、名古屋高裁と名古屋高検裁に対し、奥西さんの死刑執行停止にとどめず早期釈放、検察側の不当な引き延ばしに反対、すべての手持ち証拠の開示、一日も早い再審開始決定・無罪等を求めて、全国に運動を呼びかけている。
 からくりをほどこして作り上げた鑑定は「不正を示す真実」である。この真実もまた、法廷で明らかににされるべきである。
名張事件の再審差戻し裁判では、必ずや松倉鑑定に厳しい批判が寄せられることになろう。

※ 山本久雄老・えん罪事件とは

 1928(S3)年、11月24日広島県比婆郡高野町で養母フサノさん(57 歳)が水の入った米櫃に首を突っ込んだ姿勢で死んでいた。かかりつけの医師は「頭に血が上り、水で冷やそうとした事故死」と診断したが、警察医は扼殺と診断、容疑にかけられた妻が夫の犯行だと供述したため山本氏(当時29 歳)が逮捕。

 ソバの実をまいた道場の板の間に足跡の間に竹刀を入れて正座させたり、手を後ろに回して竹刀を入れたままロープで縛りあげるなどの拷問を加えて自白を強要。昭和6年大審院無期懲役が確定。昭和20年仮出獄した後、再審を訴える。しかし裁判長記録は戦災で喪失し弁護人も他界するなど苦心の末、1983(S58)年9月広島高裁に再審請求。事実取調べの中で、死体発見時の警察医鑑定の正否について松倉、石山教授らが検察側請求で尋問。請求は棄却され最高裁で確定。

 1992(H4)年4 月24 日、日弁連の全面的支援の下、広島高等裁判所に再審請求が出されたが、94(H6)年4月山本老は他界し、翌5 月広島高裁は請求を棄却した。その後遺族によって第3 次再審が請求されたが、2003(H15)年10 月最高裁が特別抗告を棄却し、再審のたたかいは終息した。(つづく)


えん罪事件と誤った科学者の鑑定

【前回までに取り扱った事件と鑑定】
・白鳥事件と磯部鑑定
・弘前事件と古畑鑑定
・財田川事件と古畑鑑定
・松山事件と三木・古畑鑑定
・島田事件と古畑鑑定・石山鑑定
・横浜・山下事件と石山昱夫鑑定
・名張毒ぶどう酒事件と松倉鑑定

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 日弁連をはじめえん罪諸事件を弁護してきた多くの弁護士の厳しい批判にさらされている石山昱夫帝京大学名誉教授が、今度は、最高裁の決定により名古屋高等裁判所に差し戻された名張事件の再審請求に、検察側の依頼を受けて長文の「鑑定意見」を提出したという。

 石山氏は、84 歳を迎えた奥西さんの雪冤の裁判をあくまでもくい止め、あわよくば獄死するまで牢獄に閉じこめておきたいと考えているであろう検察側の求めに応じて、またもや、ここに登場してきたのだ。そこで、前号の松倉鑑定批判につづいて、鹿児島地裁での大崎事件第一次再審請求にあたり、石山昱夫帝京大学名誉教授の『意見書』に書かれている文言の一部を紹介する。一読しただけで石山昱夫氏の人物像が理解されると思われたからである。
 彼が、鹿児島地裁で再審開始となった大崎事件の再審請求審で、あくまでも原口さんらの有罪を主張する検察側の依頼を受けて作成した『意見書』から、この人物はどのような性格の人間であるか、推し測られるのである。

大崎事件と現在までの経過のあらまし

 大崎事件は、1979(S54)年10 月15 日、鹿児島県曽於郡大崎町の農民・中村邦夫(N・K)さんの死体が自宅牛小屋の堆肥の中から見つかった事件を、志布志警察署が、殺人事件に作り上げた事件である。志布志署は、犯罪事実のない「選挙違反事件」をでっち上げたことで天下に悪名を響かせた警察署である。
 2002 年3 月26 日、鹿児島地裁は、遺体発見時に司法解剖をした城哲男(当時鹿児島大学法医学部教授)の再鑑定と、池田典昭当時九州大学法学部教授)の鑑定を「無実を明らかにする」新たな証拠として、再審開始決定。しかし検察側の即時抗告を受けた福岡高裁宮崎支部は、一度の事実取調べもすることなく、鹿児島地裁の開始決定を取消して請求を棄却した。決定は「判決が確定したことにより動かし得ないものとなっているはずの事実関係を、証拠価値の乏しい新証拠や新供述を提出することにより、安易に動揺させることとなる。それは確定判決の安定を損ない、三審制を事実上崩すことになり、現行の刑事訴訟法の再審手続きとは相いれない。」と再審請求に丸出しの敵意を示した。
 南日本新聞社は「えん罪事件を休止する再審制度を否定したも同然だろう」と、厳しく批判した。多くのマスコミも、この決定を厳しく批判した。06( H18)年1 月30 日、最高裁もこの決定に対する特別抗告で棄却した。本年8 月末、第二次再審請求が提出される。
 事件と裁判の詳細と問題点などは、『叫び・大崎事件の真実』(入江秀子著・かもがわ出版社)や「日本国民救援会鹿児島県本部=鹿児島市易居町5-8」などが発行している資料を参照されたい。

大崎事件「鑑定意見書」から窺われる石山昱夫氏の人物像

一 非常識きわまる言辞で城・池田両鑑定人を批判する石山昱夫氏

 石山『意見書』はまず、①城、池田両氏の鑑定の問題点を全面的に批判し、②次いで12 葉の遺体の解剖写真から、遺体の、とくに頸部への外力の作用があったと、殺害を示唆し、③そして「2 名が中村さんの顔を数回ずつ殴り、倒れたところを3 名で足蹴にした後、1 名が彼の首をタオルで一回巻いて交差させて両手でその両脇を力いっぱい締め付けて窒息させた」と判決が認定した事実は、12 葉の写真の検討結果と矛盾と矛盾していない」と、全面的に有罪判決を支持する内容で構成されている。
 通読して、石山『意見書』が、随所で膨大な字数を割いて、城、池田両教授を激烈な言葉で批判していることに驚く。学者の間ではもちろんのこと、通常人の間の相互批判も、批判の対象となる相手の人格を尊重し、節度をもった文言で行うのが社会常識である。
 だが、城医師、池田両鑑定人に対する石山氏の批判は、学者としてのみならず一般社会人の節度さえも逸脱しているとの印象を強くした。以下その中のいくつかの文言である。

 ●「………、池田医師は、出血という法医学においては最も基本的な所見を読みる能力が存在しないか、または、恣意的に、これを血液浸潤としなければならないとしたとしか考えられないのである。(P12)」
 ●「法医学者としては、極めて良心的な行動であるかの印象を受けるが、当時の解剖所見と撮影された写真とを正確に対比させたというような形跡はないわけで、かなり無責任に補充鑑定をまとめたもので、城尋問調書内にも、それを窺わせるものが認められるのである。(P14)」
 ●「本件死体の両面には、ほぼ全身にわたって青藍色が出現しており、城鑑定並びに池田鑑定においては、これは腐敗によって引き起こされたものであるとして、大して問題としていないが、これも法医学として大いに問題がるところである。………中略………。これでは、法医学者としては、その死体現象についての知識は、警察の検視官レベルであるとしか評価できないのである。」(P17)
 ●「本件においては、前述のごとく、全身に集団リンチの存在を推定しても矛盾しないような広範囲にわたる皮下出血の存在があり、………。こう言った点については、城鑑定書や池田鑑定書、さらには城並びに池田尋問調書においては全く触れていないのはいかがなものかと言わざるを得ないのである。ただし城鑑定医や池田鑑定は、こういった全身への外力の存在を考えていないのでるから、仕方がないと言えばそれまでのことである。」(p22)
 ●「城鑑定の根幹にあるものは、法医学面では杜撰な技術と浅薄な知識のみであり、死体解剖によって、真摯に真実を追求する姿勢は全く認められないと言って過言ではない.(P35)」
 ●「池田鑑定の問題点については、これまで各所において触れて来たが、要するに、………、それ以外は適当に自説を有利になるように主張していると言わざるを得ない。そして私の印象では、法医学の常識とは異なった見解に準拠していると言わざるを得ない。(P36)」

 学者が社会からその権威が認められるのは、その人の学問的実績を客観的に評価された後であるである。ことさら自分の権威を引き立てたい余りに、他人の人格までも傷つけるような侮辱的な言辞を弄することは、学者以前の、人間としての在り方が問われるのではないだろうか。

二 疑うことなく他殺を前提としたとしか考えられない『石山鑑定意見』

 石山『意見書』は、N・Kさんの死因について、城・池田両鑑定人を上記のよう激烈な文言で批判抽象しながら、法医学者らしいさまざまな文言を並べ立てて、「集団リンチを想定させるような外力が存在している。外力作用としては、手拳による殴打や足蹴りが最も考えられやすい」と述べ、当該死体には確定判決で認定された外力作用の痕跡が完全に揃っている」と明言している。証拠なき犯罪を法医学の装いで完成させようとの計らいが見えみえではないか。
 だが、確定判決は、N・Kさんの「頸部に西洋タオルを一回巻いて交差させた上、両手で力いっぱい引いて絞めつけて窒息させた」と認定しているが、最大の証拠であるべきタオルは、発見されていない。裁判所は、強制されたN・Zさんや、N・Sさんらのウソの自白を裏付ける物的証拠がないにもかかわらず、「凶器なき殺人犯罪」を完成させたのだ。
 その裁判の問題を明らかにすべき再審裁判で、石山氏は、「当該死体には、確定判決で認定された外力作用の痕跡が完全に揃っている。」(P38)と断定した上で、「確定判決は、・・・・N・K に関する当時の写真を観察した結果から、同判決において認定されている内容を裏付ける所見はすべて揃っていると見て矛盾点はない。(p39)と。誤った裁判を全面的に擁護した。

再審開始決定は石山「意見書」をしりぞけた

 2002(H14)年3 月26 日、鹿児島地裁は、大崎事件の再審開始を決定した。長文の再審決定は、その最後の部分で次のように述べている。「新証拠である城補充鑑定及び池田鑑定によれば、本件死体には,皮内・皮下出血、皮膚の表皮剥奪、陥没などの外表所見(索状痕)が認められず、考察を示す内部所見も認められないことから、このような死体の客観的状況は、N・ZとN・Sの自白を前提とする犯行態様とは矛盾する可能性が高いと認められる。
 そして、ZとSの自白について、犯行態様という自白の根本部分が死体の客観的状況と矛盾する可能性が高いと言わざるを得ない以上、その信用性を慎重に吟味する必要が生じ、本件がZ とSの自白以外の証拠によってどの程度支えられているかについても再検討する必要が生じる。」………中略………「そうすると、新証拠である城補充鑑定、池田鑑定のほか、当請求審において取り調べた新証拠が原審の審理中に提出されていたならば,アヤ子、Z、S、Yを本件犯行について有罪と認定るには、合理的な疑いが生じるといわざるを得なかったものと認められる。」石山氏の独善的な検定は、見事にしりぞけられている。

石山氏が、何故?何のために?

 またまた名張事件に
 これまでの連載で述べてきたように、石山氏は、島田事件の再審や山下事件など多くの冤罪事件の裁判で、つねに無実の者を有罪とすべく検察側の鑑定人として現れた人物である。その彼の名前が、今度は名張事件の差戻し審で浮かんできたのだ。     
 彼は、法医学の中でも、血液鑑定についての権威者であると自認しているという。だが名張事件の裁判では血液については一度も問題にされたことがなかったのではないか。それなのに、なぜ、血液鑑定についての学者が検察側の鑑定人として登場してきたのか、その真意を疑わざるを得ない。

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