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名張差戻異議審決定の判断手法の許しがたい不当性

名張差戻異議審決定の判断手法の許しがたい不当性

―毒物鑑定の評価をめぐってのとり急ぎのメモ

2012年5月28日
再審えん罪事件全国連絡会共同代表委員・日本国民救援会副会長
本 藤 修

第1 検討対象=三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフィ検査

1 ペーパークロマトグラフィ検査の原理
 ⑴ 各種のクロマトグラフィ検査
 混合物から特定の成分を分離・精製する方法の一つ。混合物に溶剤やガスなどを通過させると、
 混合物中の各成分が物質の大きさ、電荷、吸着力などの違いで分離される。
 ガスクロマトグラフィー、液体クロマトグラフィー、薄層クロマトグラフィー、ペーパークロマトグラフィーなどがある。
 ⑵ ペーパークロマトグラフィ検査
  ① 試験溶液を吸着しやすい濾紙の下部に線を引き、×印をつけて、その位置にスポイトなどで
成分の分析目的である検体液を滴下する。(①図)
  ② 試験溶液を入れた瓶の中に①の濾紙を入れると、濾紙が試験溶液を吸い上げていく。(②図)
  ③ 濡れた濾紙を瓶から取り出して、吸い上げられた溶液の最上位の位置に線を引く。(③図)
  ④ 濾紙を乾燥させ、光を当てて発色剤を噴霧すると、検体液に含まれている各成分が、その物質の大きさなどの性質の違いにより、固有の位置に現れる。(小さな成分物質ほど、濾紙の網を潜り抜けて上位に移動し、大きなものは濾紙の網に阻まれて下位の位置にとどまることをイメージすればよい。)この現れた位置を計測してRf値を特定する(④図)
画像の説明
 ⑶ 参考
 ニッカリンTの場合、上記④図で現れる各成分は、上位から順に以下となる。
  ① 最上位(Rf値0.95)=〔TEPP〕(テップ。ニッカリンTの本体成分)
  ② 中間位(Rf値0.58)=〔トリエチルピロホスフェート)(不純物)
  ③ 最下位(Rf値0.45)=〔DEP〕(デップ。ジエチルホスフェート。不純物)
 2 三重県衛生研究所の分析検査鑑定
 ⑴ 鑑定方法
  ① 事件当時市販されていたニッカリンTをぶどう酒に混入して検査をおこない、そのデータを把握したうえで、本件の飲み残しのぶどう酒を分析する。
  ② いずれも同一条件での検査をおこない、エーテルで成分を抽出して酸性化し、濃縮したものにより分析する方法をとる。
 ⑵ 結果と判断
  ① 当時市販のニッカリンTをぶどう酒に混入しておこなった検査では、上記④図に示す、テップ・トリエチルピロホスフェート・デップが検出された。
  ② 本件の飲み残しのぶどう酒からは、テップとデップが検出され、トリエチルピロホスフェートは検出されなかった。
  ③ 飲み残しのぶどう酒からトリエチルピロホスフェートが検出されなかったのは、加水分解により、「消失したものと思われる」。
3 参考=今日におけるクロマトグラフィ検査
 当時の三重県衛生研究所の検査方法は、原初的なものであり、既に検査装置も存在せず、また、検査時の細かい条件については記載がないため、今日では同一の方法による再検査・再鑑定はできない。

第2 第7次請求審における弁護側新証拠=佐々木・宮川鑑定

1 佐々木・宮川鑑定
 ⑴ 佐々木鑑定
 三重県衛生研究所の検査(テップ剤の成分分析検査)についての理論的解明。
 ⑵ 宮川鑑定
 弁護団入手の当時製造(65年)のニッカリンTと三共テップの各分析実験による佐々木鑑定の実証。
 ⑶ 両鑑定にもとづく結論
  ① ニッカリンTにのみ現れていた(Rf値0.58スポットの)成分は、トリエチルピロホスフェートである。
  ② ニッカリンTには、製法上、副生成物(不純物)として、トリエチルピロホスフェートが含まれている。一方、同じ〔テップ剤〕農薬でも、三共製薬の「三共テップ」には、製法上、副生成物(不純もの)であるトリエチルピロホスフェートが含まれていない。
  ③ トリエチルピロホスフェートの加水分解は非常に遅く、テップの加水分解は非常に速い。
  ④ エーテルで成分を抽出する場合の、各成分の抽出効率は、
    テップ > トリエチルピロホスフェート > デップの順番となる。
  ⑤ 酸性化した条件下では、テップの抽出効率が落ち、トリエチルピロホスフェートやデップの抽出効率が上がる。
  ⑥ ニッカリンTが犯行に使用された農薬であるとすると、農薬本体のテップの方が、不純物トリエチルピロホスフェートより速く加水分解するのだから、飲み残しのぶどう酒からテップが検出されていながらトリエチルピロホスフェートが検出されないということはありえない。犯行に使用された農薬が三共テップとしたら、三重県衛生研究所の検査結果は矛盾なく説明できる。
  ⑦ 三重県衛生研究所の検査結果は、犯行に使用された農薬がニッカリンTではないことを示している。
2 再審開始決定
 ⑴ 確定審において、本件の毒物は、ぶどう酒の飲み残りを検体として実施されたペーパークロマトグラフ試験による鑑定の結果、テップが検出されたため、有機燐テップ製剤であると特定された。三重県衛生研究所の検査結果は、この事実認定のための証拠としては十分な証明力を有しており、この点は、新証拠を加えても変わることはない。
 ⑵① 本件の毒物がニッカリンTであったならば、テップが検出される以上はトリエチルピロホスフェートが当然に検出されるはずであって、加水分解により検出されなくなるということはまずあり得ない。したがって、本件の毒物は、ニッカリンTではなかった疑いが生じている。
  ② これは、請求人がニッカリンTを所持していた事実は請求人を犯人と推認する意味を弱めるとともに、請求人の自白についても客観的事実と相反する疑いを強めている。

第3 第一次異議審・特別抗告審での各判断

1 第一次異議審決定の判断
 ⑴ 佐々木・宮川鑑定は正当である。
 ⑵ 三重県衛生研究所の検査で飲み残しのぶどう酒からは、トリエチルピロホスフェートが検出されなかった理由は、
  ① 当時製造のニッカリンTによる検査に比べて、飲み残しのぶどう酒の検査では、毒物の濃度が相当薄く、検査の絶対量が足りなかった
  ② トリエチルピロホスフェートは、抽出効率が悪い
  ③ トリエチルピロホスフェートは、テップやデップに比べて発色反応が弱いことにより、トリエチルピロホスフェートが検出限界を下回った。
 ⑶ したがって、ぶどう酒に混入された農薬がニッカリンTだった可能性もある。
2 特別抗告審決定の判断
 ⑴ 異議審決定は、当時の三重県衛生研究所のペーパークロマトグラフ試験でトリエチルピロホスフェートを検出できなかったと考えることも可能としたが、各成分の重量比などを考えれば、別の成分は検出され、トリエチルピロホスフェートだけ検出限界を下回った理由を合理的に説明できない。
 ⑵ 異議審決定が科学的知見に基づき検討をしたとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある。事実は解明されておらず、審理は尽くされていない。
 ⑶ 三重県衛生研究所の試験で検出されなかったのは、事件検体(飲み残しのぶどう酒)にニッカリンTが含まれていなかったためか、検察側の(特別抗告審において初めての新たな)主張のように事件検体にニッカリンTが含まれていたとしても濃度が低く、発色反応が非常に弱いことが原因なのかを解明するため、事件検体と近似条件で試験を実施するなど審理を尽くす必要がある。

第4 差戻異議審経過

1 鑑定に至る経緯
 ⑴ 検察主張
  ① 特別抗告審において差戻の理由となった「発色問題」の、事実上の取下差戻決定が更に審理を尽くすべきであると要求した「事件検体にニッカリンTが含まれていたとしても、濃度が低かった上、トリエチルピロホスフェートの発色反応が非常に弱いこと等によるものなのかを解明する」課題についての主張・立証はしない。
※ これにより、差戻決定の課題の探求は終了したことになり、本来、この時点で決定(=検察の異議に対する棄却)の時期が熟したことになる。
  ② 差戻異議審における新たな主張
 ニッカリンTのRf0.58スポットの物質は、トリエチルピロホスフェートではない可能性がある。佐々木・宮川鑑定は誤り。
再現鑑定を実施すればそれが分かるかも知れないので、再現鑑定を要求する。
 ⑵ 裁判所の対応
  ① 特別抗告審決定の趣旨に従い、当時の製法を基に製造された再製新ニッカリンTを用いて、当時と同じ条件でペーパークロマトグラフ試験をする鑑定を試みる方向での審理を検討したが、鑑定人を得られず、この鑑定を実施することはできなかった。
  ② 再製新ニッカリンTと宮川鑑定人保管のニッカリンTの成分分析鑑定をおこなう。
2 裁判所選任による鑑定人の鑑定
 ⑴ 鑑定事項=含有成分および各成分比に限定した鑑定
 鑑定資料①、②について、LC/MS検査(液体クロマトグラフ質量分析計)およびNMR検査(核磁気共鳴)等の最新鋭機器によりそれぞれの含有成分および各成分比を明らかにすること。
  ① 日本化学による再製ニッカリンT
  ② 日本化学による1965年製造のニッカリンT(宮川鑑定人保管)
 ⑵ 鑑定をめぐる争点
  ① 再製した「新ニッカリンT」の成分分析の鑑定結果は、弁護団主張のとおりニッカリンT中にトリエチルピロホスフェートが17%以上含まれているか、検察官主張のように5%以下であるか。
  ② 0.58スポットに検出されたものは、弁護団主張のとおり同成分であるのか、それとも検察官主張のように同成分ではないのか。
 ⑶ 鑑定結果
  ① 前段階的な成分分析鑑定
新ニッカリンTは無水状態(酒や水に溶かさない状態)では、トリエチルピロホスフェートやデップは存在しない。水分に溶解することによって、「ペンタエチルトリホスフェート」という成分が著しい速さで加水分解し、トリエチルピロホスフェートやデップに変化する。
  ② 本件の課題についての鑑定結果
再製ニッカリンT(を水に溶かしたもの)には、トリエチルピロホスフェートが24.7%、宮川鑑定人保管の「旧ニッカリンT(を水に溶かしたもの)」には同成分が17.0%含まれている。
※ 0.58スポットに現れた成分はトリエチルピロホスフェートであることが確認された。
また、上記「旧ニッカリンT」では、40余年の経年変化=加水分解により、17.0%までに減少したと解釈するのが理にかなう。
 結局、本件毒物がニッカリンTであるとすれば、三重県衛生研究所がおこなった2つの成分分析試験(ペーパークロマトグラフィ試験)の結果の相違を科学的に説明できない状況に至った。これにより、ニッカリンTを本件犯行に使用したとの確定判決の認定に合理的疑い
が生じていることがあらためて明らとなり、差戻異議審における検察主張は瓦解した。
 ⑷ 鑑定事項ではない「余事記載」事項
再製ニッカリンTについて、成分分析の前段階としてエーテル抽出をおこなってみた。エーテル抽出の条件によっては、トリエチルピロホスフェートが検出されない可能性がある。
 ⑸ 鑑定人尋問結果による「余事記載」の無意味化
  ① 裁判所からの、なぜ(予定外の)エーテル抽出をおこなったのかについての質問への答
 事件当時における三重県衛生研究所の試験では、飲み残りのぶどう酒はエーテル抽出をおこなっていたが、対照用の当時市販されていたニッカリンTは、エーテル抽出をおこなっていないという、同一条件で検査をしていないとの誤解があった。したがって、エーテル抽出の行為そのものは無意味なもの。
※ 三重県衛生研究所の試験は、いずれの検体の場合もエーテル抽出をおこない、同一条件での成分分析をしている。その結果、飲み残りのぶどう酒ではトリエチルピロホスフェートが検出されず、市販されていたニッカリンTからはこれが検出されていた。そもそも、分析対象がニッカリンTを混入させた液体である限り、加水分解の速い本体成分のテップが検出されているのに、トリエチルピロホスフェートが検出されないことはありえない。
  ② 当時のペーパークロマトグラフ試験についても可能性を模索したが、事件当時の用具、器具を入手することは困難であり、ペーパークロマトグラフ試験による再鑑定は事実上実現不可能。
※ 鑑定結果により、あらためて当時と同じ条件での再現鑑定が必要ではないかとの検察意見に対する回答。
 ⑹ 鑑定を受けての裁判所の審理方針
 前項②を受けて、あらためて別の鑑定人を探してきて、新たな鑑定をおこなうことはせず、今回の鑑定人尋問の結果が裁判所によってまとめられた後、弁護団、検察双方の意見書の提出をまって判断する。
 ⑺ 検察の最終意見の骨子
 新たな鑑定は必要ないとしたうえで(差戻異議審開始時の主張の事実上の取下)、鑑定人尋問結果によって無意味となった「余事記載」を頼みとして、当時の検査では、トリエチルピロホスフェートが検出されなかった可能性がある、というもの。
3 差戻異議審決定
 ⑴① 三重県衛生研究所の試験では、本件における飲み残しのものではないぶどう酒にニッカリンTを混ぜたもの(対照検体)から検出された成分が何であるのかについて、未解明だった。
  ② 佐々木・宮川鑑定は、この成分がトリエチルピロホスフェートであることを明らかにした。
  ③ しかし、だからといって、事件で使われた毒物がニッカリンTではないことを証明するほどの証拠価値はない。
※ 本件の毒物は、ニッカリンTではなかった「疑いが生じている」という程度では駄目で、「確実に断定できなければならない」と述べている。「疑わしきは請求人の利益に」という再審にも適用される「刑事裁判の鉄則」(白鳥決定)を投げ捨てたもの。
 ⑵ 三重県衛生研究所の試験で、飲み残しのぶどう酒からトリエチルピロホスフェートが検出されなかったことについては、今回の鑑定で以下のように推論できる。
 飲み残しのぶどう酒は少なくとも事件翌日に三重県衛生研究所に持ち込まれ、同日夜から翌日にかけて試験されたものだから、本件毒物がニッカリンTであって「ペンタエチルトリホスフェート」を含有していた場合でも、試験段階では加水分解でほとんど残っていなかったことなどにより、トリエチルピロホスフェートが検出されなかったとみる余地がある。
 このことからすると、本件毒物がニッカリンTであることと、同研究所の試験の結果、検体からトリエチルピロホスフェートが検出され、飲み残しからは検出されなかったことが矛盾するとは言えない。
※ 鑑定人尋問の結果、それが無意味であることを鑑定人自身が認めたこと(前記「余事記載」部分)を根拠に、そこからすらも遊離する、およそ非科学的な推論(検察ですらそこまでは主張していない)で強引に結論を導き出した。
  そもそも、(ニッカリンTが混入されていたとされる)飲み残しのぶどう酒が、事件翌日の夜から次の日にかけて分析検査をおこなったから、その1、2日間にトリエチルピロホスフェートが加水分解してほとんどなくなったという推論は、それよりも速く加水分解する本体成分のテップが検出されていることから、荒唐無稽というほかない。
  差戻決定が一般的に要求した「科学的知見に基づく検討」をした形跡は微塵もない。
 ⑶ これまでの証拠に新証拠を総合して検討しても、請求人以外にぶどう酒に農薬を混入し得た者はいないとの判断はいささかも動かず、逮捕前から具体性をもっていた請求人の自白が十分信用できることも、異議審決定が詳細に示す通りであり、死刑囚が犯人だとした確定判決の事実認定に合理的疑いを生じる余地はない。無罪を言い渡すべき明らかな新証拠があるとして、再審を開始し刑の執行を停止した判断は失当であり、再審を開始する理由は認められない。
※ 第一次異議審決定の自白に関する判断は、要旨、「自らが極刑になることも予想される重大な事実に関すること」で早い時期から詳細な内容のウソの自白をするはずがなく、できるはずもないというもの。

第5 毒物鑑定をめぐる経過の大要

  三重県衛生研究所の鑑定(成分分析試験)の評価が争点
  再審請求審における佐々木・宮川鑑定による開始決定(毒物はニッカリンTでなかった)
  第一次異議審における「科学的な知見に基づいたものではない」推論による上記排斥
  特別抗告審における検察の主張を容れた「審理不尽」による差戻と鑑定内容の枠組み指定
  検察の前記指定にかかる主張・立証の放棄と、新たな鑑定要求
  裁判所選任鑑定人による鑑定―成分構成とその成分比という限定された鑑定実施
  弁護側主張を裏付ける鑑定と、結果的に検察に寄り添う「余事記載」
  鑑定人尋問による「余事記載」の無意味化
  異議審決定における「余事記載」の歪曲による推論での佐々木・宮川鑑定の排除

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