えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

国際人権規約を裁判に活かし 自由な言論の実現へ!

● ここに掲載されている内容は、救援新聞2012年1/25号に紹介されています。

国際人権特集

国際人権規約を裁判に活かし  自由な言論の実現へ

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 “世界標準という視点から公務員の政治活動の自由を再検討すべき時が来ている”
 画期的な逆転無罪を勝ちとった国公法弾圧堀越事件の東京高裁判決の一節です。ここでいわれている世界標準とは、進んだ国の人権水準や、国際人権規約などに示された人権保障の到達点のことです。日本国憲法を土台にした多くの市民の運動とともに「国際人権の風」が日本の司法を動かす力になりました。
 日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤に活動してきた私たち国民救援会。今回の特集では、私たちの救援運動が世界の中の草の根の運動と手を取り合って「人権の世界標準」の形成に貢献してきた事実を見ていきます。

国公法2事件で   最高裁に「王手」

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 憲法第21条は「一切の表現の自由」を保証しています。ところが世田谷国公法弾圧事件の一、二審判決や堀越事件の一審判決は国家公務員の政治活動に対する規制は憲法に違反しないとしました。その根拠は、市民としての公務員の政治活動の権利を全面的に禁止することも合理的制限といえるとして国家公務員の政治活動禁止規定を合憲とした最高裁大法廷の判例「猿払判決(1974年)」があることなのです。
 これに対して堀越事件の高裁判決は、公務員も一人の市民としての人権があり、ビラ配りで罰するのは憲法に違反する、公務員の政治活動の規制も世界標準から見直すときが来ていると述べ、今、私たちは最高裁に対して「堀越・世田谷の2事件を大法廷に回付して、判例を見直せ」と迫っています。
 ところで、表現の自由をがんじがらめにしているのは、国公法だけではありません。選挙・政治活動の自由をあれもこれも規制・禁止する公職選挙法も「べからず選挙法」とよばれるように、諸外国に例のない厳しさで市民の言論・表現の自由を奪ってきました。

「公共の福祉」論を追い詰めてきた20世紀

 「べからず選挙法」と呼ばれる公選法の規制を合理化する理屈も最高裁大法廷判決を根拠としています。最高裁大法廷の判例(50年戸別訪問・55年文書頒布)は、「公共の福祉」を理由として、公選法の規制は合憲と判断しているのです。
 たしかに憲法113条は、国民の権利は「公共の福祉に反しない限り」尊重されると記されています。しかし、ここでいう「公共の福祉」とは、人権の行使が他人の人権と衝突する場合(たとえば有名人の報道における表現の自由とプライバシーの権利)に、これを適正に調整するための原理なのですが、表現があいまいなために、人権抑圧を容認する議論として都合よく解釈されてきました。
 これまでの合憲判決は、この「公共の福祉」論を合理化するために、さまざまな屁理屈を述べてきました。例えば戸別訪問を自由化すると買収がはびこる、有権者が迷惑するというものです。しかし、買収がいけないから戸別訪問ではなく、買収を取り締まればよく、迷惑な訪問をすれば候補者は票を減らすだけです。またビラを自由化するとお金がかかるともいいますが、ビラは誰もが出来る安価な表現手段です。
 国民救援会は戦後、60年にわたり公選法、国公法による選挙弾圧裁判を戦うなかで、こうした歪められた公共の福祉論を法廷内外で徹底的に批判してきました。その歴史は、憲法を踏みにじって君臨する最高裁判例とのたたかいという点で、国公裁判も公選法裁判も共通しており、まさに憲法のいう「多年にわたる自由獲得の努力」(97条)そのものでした。
 例えば公選法裁判では、先にあげた二つの最高裁大法廷判決が出されたにもかかわらず、直後の1960年代には、各地の地裁・簡裁で違憲無罪判決をかちとる事件がでてきます。これに対して最高裁は1969年、再度、大法廷を開いて判例の見直しは必要ないと改めて合憲判断をおこない、下級審に対する統制を強めました。しかし、その後も地裁での違憲無罪判決は続いて10件に達し、70年代に入ると高裁でも無罪判決が出され、80年代には、ついに最高裁の裁判官からも「従来の公共の福祉論には説得力がない」とする少数意見が出るまでになりました。半世紀にわたり次々と最高裁に攻め上がってきた不屈のたたかいは、歪められた「公共の福祉」を理由とした合憲論をじわじわと、かつ、確実に追いつめてきたのです。

先人が築いたケルンを道標に

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 その点は国公法裁判も同様で、堀越、世田谷事件以前の8件の裁判で出された20の判決のうち9つは無罪判決です。そもそも猿払事件でも、4人の最高裁裁判官が反対意見を述べており、その後も学者の強い批判にさらされてきました。この事件の重みは、堀越事件まで
30数年間、国公法による起訴を封じ込めてきました。国民救援会はこれまでに150件を超える国公法、公選法裁判をたたかってきました。結果としてほとんどの事件が有罪とされましたが、合計200人もの被告人が「自由な選挙」というバトンを半世紀にわたり受け継いできました。そのたたかいは、全体として自由と民主主義を求める巨大な憲法裁判の系譜を形づくってきました。過去の一つひとつの事件の被告人と家族、弁護団と支援者が、血のにじむような苦労をして積み上げてきた無数の小石が、山頂のケルンとなって今日の到達点を築き、私たちは最高裁に「世界標準からの見直し」を問うところまで来ているのです。

人権監視機関が公選法・国公法の改正を勧告

 それでは、少し詳しく「世界標準」についてみてみます。
 基本的人権の尊重を基本原理とする日本国憲法は、侵略戦争への反省から生まれました。同様に戦後の国際社会もドイツや日本の人種差別政策や言論弾圧が侵略戦争につながった教訓から、人権侵害は国内問題にとどまらず世界の平和にとって脅威となることを認識し、人権は国際社会の課題となりました。この認識は国連憲章と世界人権宣言に結実し、それを具体化するために生まれたのが国際人権規約です(日本は79年に批准)。このように、国際人権規約は、日本国憲法と同じ動機と理念を持っていて、国家が保証すべき人類社会すべての構成員の人権を示した点では、人類の憲法ともいえる普遍的な人権規定で、これを批准した各国は条約を守る義務があります。
 しかし、これを守らない国があると困るので、国際人権規約は、各国が規約を守っているかを監視するため、18人の委員からなる規約人権委員会という条約機関を設けて、定期的にその国の政府に、自国での規約実施状況を報告させて、各国の人権状況を審査しています。これを「国家報告制度」とよびます。日本国憲法98条は国際条約の遵守を誓っており、この条約が法律に優先して適用されることは判例であり政府見解でもあります。そして、規約19条と25条は言論表現の自由と自由な選挙に参加する権利を保障しているのです。
 ところが日本の裁判所は、公選法・中村、祝、大石事件などの判決で、国際人権規約が国内効力を持つことは認めながら、「では、それを適用すると無罪ではないか」という弁護側の問いに対しては「公共の福祉」論を盾にして判断を避けてきました。
 そこで自由権規約委員会は日本政府に対して、日本の言論状況に懸念を表明してきました。それでも改善がみられないため委員会は2008年、公選法、国公法による弾圧や葛飾ビラ弾圧の例をあげて、このような弾圧を防ぐために言論活動を抑圧する法律を廃止すること、警察官や裁判官などに国際人権規約の研修をおこなうこと、そして、弾圧の口実に使われている「公共の福祉」というあいまいな概念の定義を明確にすることを勧告しました(第5回日本政府報告審査の総括所見(注1))。

人権の世界標準に日本の救援運動が反映

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 昨年開かれた自由権規約委員会では、言論表現の自由について規定する人権規約19条の解釈基準「ゼネラルコメント34」(注2)を採択しましたが、その中で、日本の「べからず選挙法」の実態を例にあげて、戸別訪問の禁止や選挙運動文書の制限が規約に適合しないこと、例外的に言論表現活動に制限を課す場合も、規約に定めた厳しい基準(注3)に従うべきと示しました。このゼネラルコメントとは、各国が規約について勝手な解釈をしないように委員会が示す解釈基準です。
 長年の救援運動が、日本だけでなく世界の言論・表現に関する人権保障の基準として、ここに一つの実を結んだのです。
 最高裁が問われている人権の世界基準とは、世界の人々とともに私たちがおこなってきた草の根の運動が作り上げてきた基準なのです。
 いま、日本は自由権規約委員会から、法改正による言論表現活動の自由化という宿題を出されています。私たちは憲法と国際人権規約という人類が獲得した良識の結晶を武器に、最高裁の大法廷判決という本丸に「王手」をかけているのです。

草の根の闘いがつくる   人権の世界標準

 このように人権の世界標準は草の根の運動がつくっているのですが、これは、私たちがそう思っているだけでなく、国連の人権機関も同じ認識を持っています。

国連人権機関とNGOのパートナーシップ

 国際人権条約は条文があるだけでは絵に描いた餅で、その条約を活かす仕組みが必要です。その仕組みの一つが先に見た「国家報告制度です。報告は全締約国に義務付けられており、「条約機関」(自由権規約委員会もその一つで、条約機関は各条約ごとに設けられています)が審査をおこないます。
 ところが実際には、政府は都合のよい報告しかしないので、各国の実情がわからない条約機関はなかなか政府の痛いところを突く質問ができませんでした。そのため、この制度は、実効性が弱いと考えられていました。
 他方、世界のNGO(国民救援会のような民間団体)は各国で起きている人権侵害の実態を伝えようと委員に面談を求めるなど条約機関に対して熱心な働きかけをおこなっていました。しかし制度上、NGOの報告は正式な扱いを受けません。ところが、NGOのもたらす情報は、しばしば政府報告にはない人権侵害の本当の姿が伝えられていました。そのため各条約機関は次第にNGO情報の重要性を認識しはじめたのです。
 国連に変化が起きたのは90年代です。一部の条約機関がNGOや個人などに対して書面や口頭での情報提供を求めはじめたのです。そして93年以降、各条約機関がNGOの口頭報告を制度化したり、NGOレポートを国連の事務局が委員に配布するようになりました。こうしてNGOの参加が制度化し、正式な報告として受理されるようになったことで条約機関が有効な質問や勧告をできるようになり国家報告制度は実質的に機能しはじめたのです。はじめ、こうした資格を与えられたのは国境を越えて組織を持つ国際NGOだけでした。しかし、国民救援会のような国内NGOも各国国内の人権状況について、マスメディアを凌駕する具体的で詳細な情報を持つことから96年、国連NGOとしての協賛資格が国内NGOにも与えられるようになりました(同年7月25日採択の国連経済社会理事会決議1996/31)。

日本の救援運動も国連改革の流れに参加

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 こうした国連改革の流れには、国民救援会も参加してきました。1980年代に公選法裁判で国際人権規約の活用が始まりましたが、公選法・玉野事件の国連欧州本部への代表派遣を皮切りに、祝、中村、植田、大石各公選法事件は、政府報告に対抗するカウンターレポート(市民からの報告書)を作り、労働条件などの仲間とともに、次々と代表派遣をはじめました。
 91年には電話盗聴事件をたたかっていた日本共産党の緒方靖夫さんが人権委員会(当時)で発言しました。
 これは国民救援会の事件としては初めてのことでした。当時国内NGOには国連機関との協議資格がなかったので、国際NGOの席を借りての発言でした。また、ランチタイムを利用した委員との懇談やビラ配布など、熱心なロビー活動をおこないました。公選法・大田病院事件の元被告人・園加世子さんは、警察の自白強要を受けた体験を手作りの紙芝居で訴え、委員たちの心を打ちました。
 日本政府報告の審査で、エリザベス・エバット委員が日本の選挙について「祝さんという郵便局員のケースです」と、具体例をあげて政府を追求できたのも、私たち国内NGOの提供する情報が国家報告制度の検証機能を強めた好例といえます(第3回日本政府報告の審査)。
 現在、国民救援会と事件関係者は協議資格を持つ国際人権活動日本委員会の一員として、言論表現の自由や冤罪の実態についてカウンターレポートの提出や口頭報告をおこなっています。
 このように、日本の救援運動は、日本と世界の運動とともに国際条約を活かす仕組みの強化に貢献した歴史も持っているのです。
 私たちがいま、直面している最大の課題は国公法弾圧2大事件の最高裁での勝利です。最高裁に国際人権規約の適用を認めさせれば、国家公務員だけでなく、すべて市民の言論表現の権利に国際人権規約を適用させる力になります。自由な選挙と言論表現の自由を獲得できれば、本当の意味で市民が主人公となった社会につながるでしょう。国公法弾圧2事件の勝利で、日本国憲法と国際人権規約がともに輝く時代をきりひらきましょう。

 

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