えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

救援新聞2011年 1月5日号より

■救援新聞2011年1月5日号に掲載された主な記事


勝利の年に

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 あけましておめでとうございます。
昨年1年間は、多くの事件で勝利を勝ち取り、笑顔があふれる1年でした。2011年も運動の力で勝利の年にしましょう。事件をたたかう方々に新年の抱負を語っていただきました。

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茨城・布川事件が結審

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「正義守る判決を」

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 1967年に茨城県で起きた強盗殺人事件の罪を着せられた桜井昌司さんと杉山卓男さんが、やり直しの裁判(再審)をたたかっている布川事件の第6回公判が12月10日、水戸地裁土浦支部(神田大助裁判長)で開かれ、弁護団の最終弁論と当事者2人の最終意見陳述で結審しました。判決日は3月16日に決まりました。

「私は殺していません。検察が43年もの長きに渡って私と桜井の人生を奪い、今またここで有罪の論告をすることは公益の代表者としてあるまじき行為です。裁判官はやってもいないのに43年余りも犯人にされている私たちの苦しみをわかってください」と杉山さん。

 「証拠によって人を裁く裁判官の原点を忘れず、真実と正義を守る裁判官の職責を全うしてください。そして、歴史の批判に耐え得る判決をお願いします」と桜井さん。
 証言台に立った2人は声を張り、検察の不当な論告を告発しながら、無罪判決を強く求めました。桜井さんは途中、涙で声を詰まらせながらも最後まで胸を張り、裁判官の目を見つめ、陳述を終えました。傍聴席からは自然と拍手が起こり、裁判官からの制止の声もありませんでした。

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「いろんな人の支援のおかげで今日という日を迎えることができた。支援者のことと考えていたら、涙が出てきた」。記者会見で桜井さんは、涙の理由をこう語りました。
 確定審の裁判官や警察・検察に対して尋ねられた桜井さんは、「恨みはないが怒りはある」と答え、「国民救援会に出会って、見返りを求めない無償の善意を受けて、自分は幸せだと気付いた。だから恨んではいない」と話しました。
「ちょっと緊張したけど、80%くらいは言いたいことが言えた」と話す杉山さん。記者から、言えなかったことは、と尋ねられると、はにかみながら、「無罪判決が出てから言います」と返しました。

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 弁護団の最終弁論は2時間を超え、全文は367頁に及びました。まず前回おこなわれた無期懲役の論告について、この再審でまったく立証をおこなわなかった検察が、確定判決に固執し、9年に渡る再審請求の審理の結果に出された再審開始決定を軽視したものだと指摘。
 その上で、物的証拠がないこと、取り調べの経過や改ざんされた録音テープなどから2人の「自白」が任意性、信用性ともに乏しいものであること、目撃者供述は捜査官の誘導・ねつ造であることなどを明らかにし、確定判決が有罪の証拠としていたものをことごとく論破しました。そして、再審請求審になってようやく開示された数々の無実の証拠を挙げ、証拠隠し、テープの改ざんなどの違法・不当な捜査活動や立証を厳しく批判し、謝罪も反省もない検察に有罪の論告求刑を行う資格はない、と弾劾しました。
 完全無罪判決を出して、一日も早く2人を被告人という立場から解放するよう強く求めました。

<無罪判決要請先>
〒300-0043 茨城県土浦市中央1-13-12 水戸地裁土浦支部・神田大助裁判長

無罪勝ちとり、控訴を許すな

布川事件守る会事務局長 中澤 宏さん

 判決の日まで、無罪確定に向けて全力を尽くします。
具体的には、毎月裁判所に個人・団体署名を届け、警察・検察の違法・不当な捜査活動を断罪する判決を要請します。今回の最終弁論では冤罪の原因として警察・検察のでっちあげが根本にあるとしながらも、裁判所の間違った判断なども指摘しています。司法全体の問題として冤罪の原因を解明する判決を求めます。
 世論を盛り上げて、ひとりでも多くの人に3月16日の判決公判の行動に参加してもらうことが、その後の控訴を許さない2週間のたたかいへの力になると思います。
 支援者の皆さん、ぜひこれまでの支援の思いを判決日に結集してください。


名張事件  1月14日誕生日宣伝行動で世論を動かそう!

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名古屋拘置所で無実を訴え、再審を求めてたたかっている三重・名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さん。事件発生から50年。1月14日に獄中で85歳の誕生日を迎えます。今年も誕生日宣伝を大きく成功させて世論を動かし、奥西さんを生きて社会に取り戻すために力を尽くしましょう。

 
 名古屋市内の中心部にある名古屋拘置所。地上12階の高層棟のいずれかのフロアに奥西勝さんが収監されている独房があります。拘置所は12月半ばになっても暖房は入らず、部屋にいるときはじっと座っていなければなりません。

これで最後に

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 逮捕時35歳だった奥西さんは、1月14日85歳になります。死刑判決を受けてから41年余を獄中で過ごしました。8年前に胃ガンの手術で胃の3分の2を切除し、2年前の夏には、全身に帯状発疹を発症し苦しみました。
 奥西さんとの面会を続ける愛知県本部副会長・稲生昌三さんは、「老齢は避けられず、今や時間との競争を痛感している。奥西さんがよく口にする『これが最後かもしれない』という言葉の中には、『これで再審を勝ちとり最後にしたい』という思いが滲んでいる」と言います。
 12月13日、奥西さんは妹の岡美代子さんと面会。「奥西家の先祖は長生きの家系、90歳までは生きんとなー、元気してやー。胃の方はどうか」という美代子さんの励ましに「胃の方は大丈夫だ、それより頭の方がボケてきたわ、アハハ...」と冗談めかして答え、元気な姿を見せました。
「必ず、わしのところへ帰ってくるんじゃ。わしのところで暮らすんじゃ」
 別れ際、美代子さんの言葉に「うん、そう思うている」と返す奥西さん。「元気してやーな」と別れを告げる美代子さんに「お前も元気しておれや」と返し再会を誓いました。

人間のくさり


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 昨年の4月最高裁決定で、審理が名古屋高裁に差し戻されると、4月からは高裁要請が毎月おこなわれました。夏以降は全国の国民救援会を中心に地方ブロック別の要請行動がおこなわれました。10月の首都圏ブロック要請では、大阪地検特捜部による証拠改ざん問題が発覚した直後でもあり、名張事件でも証拠改ざんや証拠隠しがおこなわれたことを指摘。審理引き延ばしを図る検察を追求しました。
 死刑判決が出されてから41年目にあたる9月10日には、名古屋高裁を「人間のくさり」で取り囲む行動がおこなわれ、全国17都府県から450人が色とりどりののぼり旗や横断幕を持って参加しました。大きな歓声とともに、「名古屋高裁は直ちに再審を開始せよ」とシュプレヒコールが響き渡りました。
 奥西さんと面会ができる4人の特別面会人も、奥西さんに代わって無実の叫びを伝えようと各地へ支援要請に駆け回っています。
 こうした支援の高まりを象徴するかのように、支援者から奥西さんに届けられた絵手紙は、昨年1年間で1200通を超えました。

絵手紙

世論の力で

「先々のことが不安で、日々競争の思いで待っています」__12月15日に支援者宛にかかれた奥西さんの手紙です。限りある寿命を削りながら再審のたたかいを続ける奥西さん。
 検察は、最高裁の段階までの主張を今後おこなわないと表明。その一方で農薬とぶどう酒の再製造と再鑑定を求めるなど、審理の引き伸ばし策に出ています。しかも、裁判所もこの検察官の主張に引きずられ、再製造・再実験をする意向を示しています。
 支援組織である名張事件全国ネットワークと国民救援会は、これ以上奥西さんの人生を無駄にすることは許されないと、早期の再審開始を求める要請はがき運動を全国に呼びかけています。
 今年も、1月14日を中心に全国いっせい宣伝行動が予定されています。積極的に取り組んで世論を動かし、今年こそ奥西さんを獄中から生きて連れ戻しましょう。

<再審開始要請先>
〒460-8503 名古屋市中区三の丸1-4-1 名古屋高裁・下山保男裁判長



検察の在り方検討会議

まずは会議「可視化を」

司法ジャーナリスト・阿部芳郎

 2010年に世間の耳目を集めたニュースの中で、間違いなくベスト10に入るのが証拠改ざんをはじめとする大阪地検特捜部の不祥事です。権力を乱用した操作の在り方とともに検察組織の異常な体質も明るみに出てきました。

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 これを正すべく法務大臣の諮問機関として検察の在り方に関する検討会(座長=千葉景子元法相)が設置されました。11月4日に選任された13人の顔ぶれや肩書きをみると、検察・警察出身者5人、元裁判官2人、弁護士2人、学者、ほかにジャーナリスト、作家など。法律のプロといえる人々が多数を占めています。
 捜査当局による証拠の隠蔽など、不当・違法な捜査手法により、無実の人を罪に問うような異常な体質にメスを入れることが検討会議の最も重要な任務でなければなりません。法理論もさることながら、市民の目線、被害を受けた側の立場から、人権重視を第1に、組織のゆがみを正さなければならないでしょう。そうした視点から見ると、今回のメンバー構成には、捜査関係者や盗聴法推進派が含まれ、過大な期待をするのは無理な気がしてきます。
 メンバーのひとり江川紹子さんがこう話しています。「会議の中には抵抗勢力的な人もいて、私が発言するたびに必ずそれを否定する__マンツーマンディフェンスでつぶしにかかってくる人もいます」(12月2日の可視化を求める市民集会で)

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 ところで、日本国民救援会が11月9日に出した検討会議に対する意見書で第1に求めているのが審議内容の公開です。11月25日に開かれた検討会議では、冒頭からこの問題が議論になったようです。
 ホームページに公開されている議事録を読むと、基本的には公開することとされたものの、その形式はまだ決まっていません。
 かつて司法制度改革審議会がスタートした99年7月、最初のうち非公開だった審議内容が弁護士会などの批判を受けて、その年の暮れ頃から別室モニター形式でメディアを含め公開された経緯があります。記者当時、私もモニター室から数10回傍聴しました。
 検討会議で議論すべきテーマの中には、取り調べの全過程を録音・録画する「可視化問題」も含まれています。
そうした重要課題を議論する検討会議の一部始終を「可視化」しないようでは話になりません。冤罪被害者・弁護人ら関係者に対するヒヤリングの実施とともに全面的な公開が重要です。
 そのことによって検討会議の「在り方」を国民の側からチェックすることが可能となるはずです。



滋賀・日野町事件

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治療続くが、危機的状態

阪原さん、刑の執行が停止

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 84年12月に起きた強盗殺人事件の犯人とされ、無期懲役で服役中の阪原弘さんが、11月初めから食事が食べられず、免疫力が落ち重篤な状況となっていましたが、12月10日、広島地検が刑の執行を停止しました。
 現在、阪原さんは広島刑務所から外部の病院へ移され、入院・治療中ですが、医師からは「危機的状況にかわりはない」との説明を受けています。
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 12月2日、広島刑務所に次女・則子さんが面会に行った際、刑務所側が阪原さんの病状が重篤であることを説明。弁護人が6日午後に面会しましたが、阪原さんはストレッチャーに乗せられ、口もきけない状態でした。弁護人は、阪原さんを外部の病院に移し適切な治療を受けさせ、刑の執行停止を検察庁に申し出るよう広島刑務所に要請をしました。
 その日、広島刑務所は外部の病院に阪原さんを搬送。7日にその旨を家族に伝え、連絡を受けた家族は病院に駆けつけ、看守が監視する中、危篤状態の阪原さんと面会することが出来ました。
 弁護団は,広島地検に対して「刑の執行停止」を求める文書を渡し、それに伴い監視をしていた看守は引き上げました。
 阪原さんの意識は戻り、誰と対面しているかも分かるようになっていますが、発声が出来ません。マスク型の酸素吸入を受けていますが、マスクが苦しいのか自分で外そうとし、そのたびに警報が鳴る状態です。
 医師によると、阪原さんの肺炎の症状はやや改善するも、他の検査項目の数値が変化せず、人工呼吸器を外して次の治療に移りたいが、それが出来ない状態であることに変わりはないということです。
 日の事件対策委員会は12月13日、大阪高裁へ行き,4千人分の再審開始要請署名(累計4万9千人分)と、阪原さんが病床にあり危機的状況にある写真を添えて提出し、再審開始決定を求めました。今後、阪原さんの刑の執行停止が継続され十分な治療を行うよう求めると同時に、再審開始決定を勝ちとり,再審・無罪判決を求める運動を進めていきます。
 治療費、家族の滞在費用などの支援カンパにご協力下さい。

<激励先> 〒732-00052 広島市東区光町2-9-24 ロードビル202号
      国民救援会広島県本部
<支援カンパ送金先>
      ゆうちょ銀行 口座番号15130-8343201番 山本則子



高橋勝子さんと布川事件①

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 3月16日に判決を迎える茨城・布川事件。長年支援を行い、獄中の桜井さん、杉山さんに3千通の手紙を送り、2人を励ました国民救援会東京都本部の高橋勝子さんにお話を伺いました。

事件との関わり

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 杉山さんの叔父さんから相談を受けた現在の弁護団長の柴田先生が国民救援会に要請をしたのがきっかけでした。その後、国民救援会東京都本部に来ていた2人の手紙をたまたま私が開封し、返事を書いたことから、手紙のやりとりを始めました。最高裁の審理が始まって1976年に守る会を作りました。2人は小菅の拘置所にいたこともあって、東京都本部がベースになって立ち上げました。
 78年7月3日、最高裁で不当判決が言い渡され、面会に行った当時の救援新聞の記者から、「『高橋さんがんばってたねって言ってたよ』と伝えたら、桜井さんがぼろぼろ涙を流していた」という話を聞き、確定してしまうと会えなくなると思って、初めての面会に行きました。会ってしまうと、やはり情が深まって、布川事件の運動に深く関わるようになりました。

処遇改善の要請

 最高裁の不当判決の後、2人が東京拘置所にいても連絡がつかない時期がありました。どの刑務所に入れるのかを決める時期です。その間に、再審請求をするから、、2人一緒で近くの刑務所にしてほしいという要請を東京拘置所、法務省、東京矯正管区に柴田先生と当時東京都本部会長の谷村直雄さんと3人で何度も何度もおこないました。
 その後、千葉刑務所へ行くことが決まって安堵し、それからは同じ東京都本部で活動していた芝崎さんと監獄法を何回も勉強しました。その結果、刑務所長の裁量が大きいことを学び、所長宛に要請行動をおこないました。刑務所の警備は今より厳重でしたが、私たちが紳士的なためでしょうか、要請を受けてもらいました。
 親族以外の若い支援者を身元引受人にしたいこと、また、手紙のやりとりができる人を便宜上「保護者」として認めてもらうよう、芝崎さんや現在の中央本部顧問・山田善二郎さんなどとともに要請しました。2人の社会復帰の日まで支える、という誓約書も書きました。その結果、一人につき、身元引受人合わせて5人の面会と手紙のやりとりを認められました。
 面会のときは、頼まれて伝言が山ほどあって、いつもずっと私が喋っていました。看守から「もっと桜井に喋らせてやってくれ」などと何度も言われて、「だったら面会時間長くしてよ」と返していました。
(つづく)



裁判員制度改善のために

国民参加の韓国参与裁判①   日本と違うところ

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 市民が刑事裁判に参加する裁判員裁判が施行されて1年半が経ちます。隣国韓国では、陪審員制に似た国民参与裁判制度が2007年から施行されています。日本の裁判員裁判の改善を考える上で参与裁判が示唆するものは何か_2010年11月、参与裁判を傍聴した中央本部の伊賀カズミ副会長がレポートします。

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 元裁判官を含む弁護士4人をはじめ、現役書記官、速記官制度を守る会、陪審制度を復活する会、裁判への市民参加を進める会、9条の会など多彩な大阪弁護士会の各界懇談会のメンバー18人とともに、2泊3日で一路韓国へ。

実験的な実施

 はじめにソウル地方法院(日本の地方裁判所)を訪問。法院長を含む刑事主席部長判事、刑事広報官等と面談しました。
 韓国で国民参与裁判法が制定されたのは07年。08年から5年間の実験的実施がされています。
 日本との大きな違いは、被告人自身が参与裁判か裁判官による裁判にするかの選択制をとっていることです。陪審員と呼ばれる市民の有罪・無罪の評決は勧告的効力のみを持ち、裁判官はこの評決に拘束されず判決を出すことができます。韓国での国民的評価、特に陪審員経験者の評価は高く、大法院(韓国における最高裁)でも参与裁判を今後も進める意向とのこと。
 陪審員の評決と裁判官の判決が一致する割合は約91%。マスコミなどではこの一致を高く評価しているそうです。しかし残る9%をどう見るのか、裁判官が陪審員の意志を取り入れる努力が足りないのではないか、との意見もあるとのことです。
 審理は1日ないし2日でおこなわれます。対象事件は比較的単純で陪審員が判断しやすいもの、証人も3~4人までとなっており、国民的関心の高い事件は参与裁判とはなっていません。
 審理が長期にわたると市民の参加が可能かどうかの不安があるとのことで、現実に陪審員は女性が7~8割で、高齢者が率としては高いそうです。若い男性は仕事があり辞退することが多く、それでも無理をして参加させるということはしないそうです。今後は3~4日かけても実施する方向の検討もなされているそうです。

裁判官と質疑

 お会いした裁判官との質疑の中で、インターネット上に意見表明をしたり情報を共有できる裁判官のコミュニティによるホームページがあり、被告人に対して説示する際の参考にすることもあると説明されました。ネット上に裁判官のホームページがあるというのは驚きでした。
 この後、実際の法廷でおこなわれている参与裁判を選任手続きの部分から傍聴することができました。次号では実際の裁判の様子をお伝えします。(つづく)

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