えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

救援新聞2012年4月25日号より

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ここに掲載されている内容は、救援新聞2012年4/25号に紹介されている「再審えん罪事件全国連絡会」に関連する記事の一部です。

父の無念晴らしたい    滋賀・日野町事件 阪原弘さん長男 弘次さん

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 逮捕から25年間、無実を叫びながら、裁判のやり直しを求め続けた日野町事件の阪原弘さん(享年75歳)。再審の願い果たせず、昨年3月に無くなりました。1年後の今年3月30日、弘さんの妻、息子と娘たち家族は、弘さんの名誉回復のためにあらためて再建請求を申し立てました。再びたたかう決意を長男・弘次さんに聞きました。

滋賀・日野町事件 阪原弘さんの長男
阪原弘次さん
阪原弘次さん

 「酒代欲しさにホームラン酒店(居酒屋)に押し入り、同店の店主・池元はつを殺害。現金数万円と古銭、記念メダル類を強手し云々」
 これが父・阪原弘と私たちの20数年にわたるたたかいの始まりでした。
 10年近く及ぶ裁判の結果出た判決は、「被告人を無期懲役に処す」。犯行現場、犯行時刻は特定せず「自白そのものでは犯行を認められないが状況証拠等で犯行を認められる」つまり、いつ、どこで殺し、何を取ったのかは分からないが、お前が犯人だと言う無茶苦茶なものでした。それも、元々の訴因(具体的な犯罪事実の主張)では有罪判決が書けないので、裁判所が検察に現場と時刻をぼかすよう指示をし、追加訴因で出した判決です。
 大阪高裁では「目の前に金庫があるのだから欲しくなってもしょうがない」と、盗ったとされる金庫と店にあった別の金庫を混同した上で、状況証拠は信用できないが、自白の根幹部分が信用できると原審を支持してしまいました。
 最高裁で「法令違反や事実誤認はない」と上告が退けられ、父の有罪が確定しました。

裁判の度、帰り支度を

 滋賀の拘置所にいるとき、刑務官が話してくれたのですが、公判が開かれる度ごとに父は、自分の荷物をまとめて帰り支度をした上で裁判に出廷していたそうですl。裁判官が、「お前はやってないさかい、帰りなさい」と言ってくれると、父は思っていたのです。
 一昨年末、ほぼ危篤状態で収容された広島の病院でも、この病気を治したら自分の故郷へ家族の待つ家へ帰れるんだと言う強い思いで、辛い治療にも耐え頑張っていました。
 朦朧とする父に、「父ちゃん全部終わったんやで。病気終わったら滋賀へ帰れる。みんなでこれまでの人生、取り返そな」と声をかけると、泣きながらうなづいていました。20数年という長い拘禁生活も、自分の無実を晴らして家に帰るという、普通だったらごく当たり前のことを最高の夢にして、ともすればくじけそうになる自分の支えにして耐えてきたのだと思います。
 痰をのどに詰まらせ呼吸困難になり、症状が急変しました。医師の先生からは植物状態になったと告げられました。でも、看護師さんが痰を吸い取るとき、父は身体をのけぞらして苦しい表情をし、手を動かすのです。先生は意識はないというが、私たちはそれが信じられませんでした。「意識ありますよね。喋れないだけですよね」何度も先生に確認しました。

楽になってええねで」

 父は亡くなりました。次女があまりにも辛そうな父を見て「父ちゃん、もう頑張らんでもええ値で、楽になってもええねで」と声を掛けたときスーッと息を引き取ったそうです。
 父が何をしたというのでしょう、何を証拠にあまりにも長い拘禁生活を父に強いてきたのでしょう。本当ならもっと早くに無罪判決が出ていたはずだと今でも思います。犯行の時着ていたとされる作業服についていたホームラン酒店の滞留微物はどこにでもあるものだと分かり、店内から消えたとされる現金や古銭記念メダル類は無くなっていない事が判明しました。アリバイもインタビューで、父が来ていた事を示唆する内容の証言も取れました。何よりも、父の証言通りでは殺害など出来ないという検証結果も出ました。この事件は扼殺ではなく絞殺であるとの結果報告もあります。じゃあ、父は何のために、おばあさんを殺したというのでしょう。父が殺害などしていないと言う状況証拠が揃う中です。酒代欲しさに同店に侵入、殺害し数万円の現金と古銭記念メダル等々、検察の言うものはどこへ消えたのでしょう。

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 私たちは、父の遺骸を前にして「父ちゃんよう頑張ったな、もう何年も辛い思いをする事はないんやで、これで楽になれるんやで、ゆっくり休みや」と、それぞれが声を掛けていました。この数ヶ月の看病で、父の思いや辛さ、頑張りを強く感じ見てきたからです。

抑えられない怒り

 葬式が終わり、父の居ない寂しさ、辛さに耐えている自分がありましたし、家族の笑いの中にどこか寂しさも感じられました。ただ、父の遺影を見たとき、父の事をふっと思い浮かべた時、父の無念を考えた時、私たちの体の中から沸々と浮かび上がってくる抑える事の出来ない怒りがありました。
 父はこんな事になる人ではなかったんです。こんな事に巻きこまれるべきではなかったんです。父の無念を晴らすため、この怒りという呪縛から自分たちを解放するため、もう一度たたかいます。家族一丸となって。そして全てが終わった時、父の墓前に家族みんなでお参りに行きます。

<激励先> 〒527-0038 東近江市聖徳町4-14
          全教・滋賀湖東第1教組気付 えん罪・日野町事件再審を求める会

日野町事件とは...1984年12月、滋賀県日野町で酒小売店の女店主が殺害され,手提げ金庫が盗まれた事件。事件から3年後、阪原弘さんがウソの「自白」をさせられ、逮捕、起訴された。一審の大津地裁での審理の終盤、裁判官が担当検察官に働きかけ、検察に訴因を変更させる。犯行場所を「店内」から「日野町内及び周辺」に、犯行時刻を、「午後8時40分」から「8時過ぎから翌朝まで」に変更した。裁判所は、随所で客観的事実に反する「自白」を信用できないとしたが、状況証拠によって有罪を認定できるとして無期懲役判決。二審の大阪高裁では、状況証拠のみでは有罪と出来ないと判断しながら、一審が否定した「自白」を「信用できる」と認定。証拠に対する評価が大きく違っていながら、最高裁は「事実誤認はない」と上告を棄却した(2000年)。01年に大津地裁に再審請求するが、06年に請求棄却。大阪高裁での即時抗告中の11年3月に阪原さんが亡くなり、裁判所が手続き終了を決定していた。


4.5 個人通報制度の実現の実現を!      集会に250人

画像の説明

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 4月5日、東京霞ヶ関で日弁連主催、国民救援会などのNGOの共催で、「今こそ、個人通報制度の実現を!大集会」が開かれ、250人が参加しました。
 集会は、国民救援会など6つのNGOが個人通報制度の実現に関して報告。国民救援会からは濱嶋隆昌中央常任委員・国際問題委員会委員が、言論・表現の自由を求めてたたかっている国家公務員法裁判と公職選挙法裁判のたたかいを紹介し、公選法裁判については最高裁までたたかいながらもなお救済されない人たちがたくさんおり、日本が個人通報制度を批准するために力を尽くすことを報告しました。
 集会で、安藤仁介元自由権規約委員長は、「就任中、日本が個人通報制度を批准していないことにずっと恥ずかしい思いをしていた。一日も早く実現しなければならない」と述べました。

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