えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

救援新聞2012年6月25日号より

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ここに掲載されている内容は、救援新聞2012年6/25号に紹介されている「再審えん罪事件全国連絡会」に関連する記事の一部です。

東電OL殺人事件   無実の訴え実る

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再審開始を喜び、天を仰ぐ家族

 1997年に起きた殺人事件の犯人とされ、無期懲役で受刑中だったネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんが再審(裁判のやり直し)を求めていた東電OL殺人事件で、東京高裁(小川正持裁判長)は6月7日、再審を開始し、刑の執行を停止する決定を出しました。決定は、新たにおこなったDNA型鑑定結果などから、第3者の犯行の可能性を示唆。「公判でこの鑑定が提出されていれば、有罪認定にはならなかった」としました。ゴビンダさんは同日夕方に横浜刑務所を釈放され、入国管理局に移送。15日、故郷ネパールへ向かう飛行機で家族とともに日本を出国しました。

 無数のノボリを翻して支援者が待つ東京高裁前。午前10時すぎ、第一報を伝える弁護士が広げた垂れ幕には、「開始決定」の文字。周囲は拍手と歓声に包まれ、支援者の笑顔がこぼれました決定に合わせて来日していたゴビンダさんの妻・ラダさんは、両脇にいた2人の娘を強く抱き寄せて,再審決定の喜びに浸りました。
 弁護士から刑の執行停止も認められたことが伝えられると、「うおぉ~」と、ひときわ大きな歓声が湧きました。
 マイクを手にしたラダさんは、「夫が牢屋に入れられてから15年、やっと自由の見通しがつきそうです。嬉しくて、嬉しくて、嬉しくてしょうがない」と話し、目頭を押さえました。
 横浜刑務所にいるゴビンダさんも、同じ時刻、面会した弁護士から再審決定の知らせを聞きました。ゴビンダさんは、落ち着いた様子で「ありがとうございます」と答え、「私の無実を信じてくれた裁判官と出会えて感謝の気持ちで一杯。弁護士、支援者の精一杯の努力、ご支援の結果です。一日も早くネパールに帰り、病気のお母さんに会いたい.15年間の時間は戻らない。すべてのDNA型鑑定をしたのだから、検察官はこれ以上戻らない時間を増やさないで欲しい」と話したそうです。

ゴビンダさん 母国へ

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刑の執行停止、釈放     18年ぶりのネパールへ家族と

 刑の執行停止決定を受け,横浜刑務所に収監されていたゴビンダさんは、東京入国管理局横浜支局に移送され、ネパールへ帰国する手続きに入りました。
 「本当に嬉しい。ありがとう。感謝の気持ちで一杯です.本当にめまぐるしい一日でした」

刑務所の外へ

 再審開始決定が出た6月7日の午後5時、会見したラダさんは手を合わせ、お礼の言葉を語りました。
裁判所が決定を出した直後、東京高検は、再審開始決定に異議を申し立て、刑の執行停止の取り消しを求めましたしかし、裁判所が執行停止の取り消しを認めなかったため、検察はゴビンダさんの釈放を指揮。ゴビンダさんは,出入国管理法違反(不法残留)の罪で有罪が確定しているため、東京入管横浜支局に移送され、強制退去の手続きに入りました。
 一方、再審開始決定に対する異議申立てについては、東京高裁の別の部で、再び再審の可否を巡って審理が続きます。

抱きしめて

 「再審開始、刑の執行停止ということでやっと私たち家族にも太陽があたりました。ところが、検察が異議申立をして、雨が降ってきました。そしてまた太陽が照らしてくれました」とラダさん。「年老いて病気を患っている彼のお母さんにすぐにでも会わせてあげたい。そして抱きしめてもらいたい」と話しました。長女のミティラさんは、「ヒマラヤの麓でゆっくり休ませてあげたい」、次女エリサさんは、「お父さんと町を散歩したい」と話し、18年ぶりにネパールに帰るゴビンダさんと一緒に暮らせる喜びを噛み締めていました。
 6月8日,ラダさんら家族は東京入管横浜支局を訪れ、ゴビンダさんと面会しました。ゴビンダさんは、嬉しそうにニコニコ笑って3人を迎えると、スリムな2人の娘に、「お肉をちゃんと食べなさい」などと話しました。
 ラダさんは,帰国の際に着てもらうために仕立てたスーツや支える会の人たちから送られたワイシャツを差し入れ、「一緒にネパールへ連れて帰れるという、日本に来た目的が達成できてよかった。こんなに早く実現できるとは、正直思っていなかった」と話しました。

第三者の犯行示唆      東京高裁

 公判の時に新証拠(DNA型鑑定など)が提出されていれば、ゴビンダさんが犯行を行ったという有罪認定には到達しなかった__東京高裁はそう結論付けて再審開始を決定しました。
 昨年7月、検察がおこなった鑑定で、被害者の体内に残っていた体液から、ゴビンダさんではない人物のDNA型が検出され、その型は現場に落ちていた体毛と一致することがわかりました。「ゴビンダさん以外の人が被害者を部屋に連れ込むことは考え難い」とした有罪判決の根拠が崩れました。
 検察は、それまで隠していた42点にわたる証拠(被害者の遺体に付着した唾液、被害者が着ていた衣服の血痕などの鑑定資料)を開示して追加のDNA型鑑定を要求。裁判所が「必要ない」としたにもかかわらず、独自に鑑定を強行しました。その結果、ゴビンダさんのDNA型は一切検出されず、一方で、遺体に付着した唾液や、被害者のコートに付着した血痕などから第三者のDNA型が次々と検出されました。
 決定は、これらの鑑定結果が、「第三者が犯人である可能性を示すものだ」と指摘。「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたるとして、再審開始と刑の執行停止を決定しました。
 弁護団は、「『疑わしきは被告人の利益に』の原則が再審にも適用されるとした最高裁白鳥決定の論理に沿うもので、常識的な判断」と評価しています。

ゴビンダさんと面会      「救援会の人、神さま」

 釈放され、出国を控えるゴビンダさんに、国民救援会の山田善二郎顧問と瑞慶覧淳副会長が面会することが出来ました。瑞慶覧副会長の報告を紹介します。

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 6月12日、横浜の入国管理局でゴビンダさんに面会しました。横浜刑務所で面会制限か厳しくなって以来、4年ぶりの再会でした。
 アクリル板で遮断された面会室にゴビンダさんは笑顔で現れました。お互い「ナマステ」(こんにちは)とあいさつし、握手の代わりにアクリル板を軽くたたきながら、「おめでとう」「ありがとうございました」と喜び合いました。
 「山田さん、瑞慶覧さん、最高裁で負けて横浜刑務所で最初に面会したときのこと、覚えていますか?」とゴビンダさん。私たちが思いだそうと首を傾げていると、「あのとき山田さんは『ゴビンダさん、これからも希望をもって頑張りましょう』と。瑞慶覧さんは『救援会はあなたをネパールに帰すまで支援しますから』と励ましてくれました。私は、みなさんの励ましを信じて頑張ることができました。本当にありがとうございました」と話しました。
 入管の中からは、外部にも電話をかけることができます。「ネパールのお母さんに電話をしましたか」と尋ねると、「お母さんは泣いて喜んでいました。早く帰って顔を見たい」と話しました。
 娘さんたちが、釈放が決まった日の記者会見で、「お父さんは、長い間狭いところで頑張ってきたのでヒマラヤの麓に連れて行って休ませたい」と言っていましたよと紹介すると、ゴビンダさんは、その様子をテレビで観て知っていました。
 「ネパールを出る時、上の娘がまだ1歳、下の娘はラダのお腹にいて3ヶ月でした。皆さんのおかげで20歳と18歳になり、立派に成長してくれてホッとしています。再審開始になって本当にうれしいのですが、テレビに映る娘たちの映像を見ていると、この子たちと共に過ごすことができなかったことや、人生で一番大切な時期、奪われた15年のことを考えてしまい、悔しさと怒りの気持ちが湧いてきます」と複雑な気持ちを明かしました。
 「ネパールに帰ったら、子供たちが言うように、ゆっくり体や心を休めて、これからの人生が充実したものになるようにしたいです」
そして別れ際、次のように話してくれました。
 「国民救援会の皆さんは、神様のような人々です。見も知らない私の無実を信じて、本当に長い間支援してくれました。そして私を助けてくれました。ありがとうございました。無罪になるまでには、まだ裁判は続くようですが、引き続きご支援をお願いします。ぜひ、ネパールにも来てください。家族で歓待します」
 笑顔で手を振るゴビンダさんに、「体に気をつけて頑張りましょう」と告げ、面会を終えました。

名張事件     奥西さん東京に移送

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刑の執行停止と釈放要求       国民救援会

 名張毒ぶどう酒事件の無実の死刑囚・奥西勝さんが6月11日、名古屋市内の病院から八王子医療刑務所に移されました。

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 奥西さんは5月25日の名古屋高裁での不当判決後、小康状態から体調を崩し、名古屋市内の病院に移されました。拘置所側は、「護送中」との理由で、ベッドに横たわり治療を受ける奥西さんに片手錠をかけて監視状況に置きました。国民救援会は名張事件全国ネットなどと、手錠をつないだままで治療を受けさせることは許されないと厳しく批判し、刑の執行停止と釈放を検察庁や拘置所などに求めてきました。
 今回の移送について、拘置所側は、奥西さんの病状に変化はないが、回復を急ぐために、より医療体制の充実した刑務所である八王子医療刑務所に移すことにした、と説明しています。
 12日には、鈴木泉弁護団長が面会、東京守る会の落合修さんやジャーナリストの江川紹子さんの初めての面会も実現しました。14日には特別面会人の稲生昌三国民救援会副会長と奥西さんの親族が面会し、奥西さんを激励しました。面会の様子を稲生さんは次のように話しています。
 「車いすに乗って現れた奥西さんは、マスクをして、口から食事がとれないため栄養をとる管が右首の経口血管にさされた姿で現れました。1ヶ月ぶりの面会でしたが、やせたようでした。奥西さんは私に『手錠はとてもつらかった』と話してくれました。私から『弁護団も支援者も一日も早い再審をめざして頑張っているよ。みんなで支えるから心配しないでね』と言うと、『ありがとう。本当にありがとう』と何度も答えました。別れ際には、手を振り合って面会を終えました」
 15日には、国民救援会、名張事件全国ネット、全国の支援者20数人が、最高裁、最高検、法務省矯正局に要請し、刑の執行停止と釈放など求めました。

布川事件   心つないで36年、守る会が解散総会

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 布川事件桜井昌司さん杉山卓男さんを守る会は、昨年5月24日、水戸地裁土浦支部で桜井さんと杉山さんに対し再審無罪判決が出され、確定したことで、その目的を達成しました。
 守る会は5月26日、東京・平和と労働センターで「継続は力 心つないで36年」と第36回総会を開き150人を超える人が参加しました。総会では、会の解散と「布川事件の国家賠償請求訴訟を支援する会」(仮称)を10月をめどに結成し、誤判原因の究明と、冤罪防止策(証拠の全面開示、取調べの全面可視化、代用監獄の廃止など)の実現のための運動を引き継ぐことを満場一致で確認しました。
 総会後、守る会の運動は、第36回総会をもって終了し、残務処理を8月31日まで、事務局が責任を持っておこないます。また、守る会の運動をまとめた記録誌は6月末に完成予定です。長い間のご支援ご協力に心から感謝申し上げます。
 なお、年内に、布川事件の国家賠償請求提出、「布川事件の国家賠償を支援する会」結成、支援コンサートなどを予定しています。
 布川事件にかかわった多くの仲間は、引き続き冤罪根絶のために運動を進めてまいります。冤罪のない世の中をめざして共に前進していきましょう!

布川事件守る会事務局長
中澤 宏


千葉・九十九里支部  被災地・女川へバス旅行支援物資届ける

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 5月20日から21日、被災地宮城女川、その後、日本三景、五大堂や瑞巌寺の松島へバス旅行に行ってきました。
 4月に支部独自で東日本大震災復興支援コンサートを行い、その収益金やカンパ等で買ったお米や野菜、Tシャツを持って、被災地女川町小乗地区の仮設住宅の方に小分けした袋で届け大変喜ばれました。直接被災された方からのお話を聞き改めて事前の驚異を知りました。
 往復1000キロの強行軍でしたが、参加者33人は、元気に女川町、石巻市内の現状を知ることができました。参加者から「被災された方々の明るい笑顔、困難に立ち向かい前へと進もうとする姿、私たちが元気をもらって何か出来そうだと奮い立たせてくれました。仙台筋弛緩剤冤罪事件の守大助さんのご両親から直接話を聞き、私の世界が一つ広がりました」と感想が寄せられました。


大崎事件   再審求め宣伝・原口さんが訴え

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 5月15日、鹿児島・天文館前でおこなわれた定例の鹿児島・大崎事件の宣伝行動と、鹿児島地裁への要請行動に参加しました(宣伝には鹿児島、宮崎、熊本の3県15人参加)。
 人通りも多く、救援会の訴えも熱心に聴いてくれ、署名も230人分集まりました。原口アヤ子さんも元気な姿を見せられ、安心しました。
 当初取調べを受けた親族が警察の強引な取調べで強要された自白調書ができたこと、主犯とされた自分は一度も認めなかったが、有罪とされたこと、刑期中も真実は必ずいつか分かると仮出所を断り続け、刑期満了まで服役したこと、出所後再審請求していること、冤罪は誰の人生にもあってはならないことなど、84歳のアヤ子さんが一生懸命訴えました。

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