えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

日産サニー事件

日産サニー事件

元再審請求人 斎藤嘉照(さいとう・よしてる)さん

事件の概要と裁判の経過

  1967年(昭和42年)10月27日の午前0時ごろ、福島県いわき市内郷御厩町にあった日産サニーいわき営業所に当直中の星雅俊さん(当時29歳)が、首・腹・背中など数十箇所を斬られて殺害され、現金「2100円位」と男物ズボン1枚を奪われるという事件が発生しました。事件発生から半年後、迷宮入りかという声も出はじめた翌68年4月27日の夜8時35分ころ、いわき市平の子鍬倉神社境内で、電電公社(現NTT)職員で平市大室に住んでいた斎藤嘉照さん(当時30歳)が、同神社の床下にあった大工道具を持ち出そうとしたとして、朝から張り込み中の平署員に窃盗容疑で別件逮捕されました。そして、逮捕されてから10日後の5月7日、「日産サニー事件については何も取調べをしなかった」(一審公判取調官証言)のに「号泣しながら進んで犯行を自白」(一審論告要旨)したことから、翌5月8日には日産サニー事件の犯人として再逮捕されて、5月29日、窃盗目的で住居侵入し、発見されて格闘の末殺害したとして起訴されたものです。
 斎藤さんは、いったんは犯行を「自白」したものの一審第3回公判からはアリバイを主張して犯行を否認しましたが、1969年(昭和44年)4月2日福島地裁いわき支部の判決は、無期懲役。その後の仙台高裁で控訴棄却(70年4月16日)、最高裁で上告が棄却(71年4月19日)されて無期懲役が確定し、宮城刑務所に服役しました。

再審の経過

1988年(昭和63年)4月に仮釈放となって、20年ぶりに故郷のいわき市に戻った斎藤さんは、この年の7月に「裁判のやり直し」を求めて、福島地裁いわき支部に再審請求を申立てました。これを受けて、1992年(平成4年)3月23日、福島地裁いわき支部は、白鳥・財田川決定を基礎に、詳細な自白と直接証拠となる物証皆無という確定判決の証拠構造がもつ有罪認定の脆弱性をふまえて審理した結果、自白の信用性を否定し、また確定判決が認定した果物ナイフでは被害者の傷は生じないなどとして、再審開始決定を出しました。
 ところが、仙台高裁は、1995年(平成7年)5月10日、検察の「再審開始決定は白鳥・財田川決定に違反する」との理由による即時抗告に対して、「再審開始決定は白鳥・財田川決定に違反しない」としながら、原審の再審開始決定とは反対の判断を示し、検察が主張するような「(犯人である)可能性」だけで有罪は認定できるし、その可能性を完全に反証できない限り無罪とは認めないとの立場で「再審開始決定を取消す」決定を行いました。
 斎藤さんはこの決定の「取消し」を求めて、最高裁に特別抗告をしましたが、1999年(平成11年)3月9日、最高裁第三小法廷は、これを棄却してしまいました。
 斎藤さんは、無実の罪で刑務所暮らしを強いられ、強盗殺人の犯人という汚名を着せられて30余年に至っており、年老いた母・ウタさんと二人で、この無念を晴らしたいと胸裂ける思いの日々を送っていますが、現在、新たな再審請求の目処は立っていません。

連絡先

 日産サニー事件・斎藤嘉照さんを守る会
〒 960-8002 福島市森合町2-18 バーミハウス森合102
℡ 024-535-3355 FAX 024-535-3351

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