えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

無実の死刑囚 奥西勝さん・袴田巖さんを救え 12.8支援の集い

無実の死刑囚 

奥西勝さん・袴田巖さんを救え 12.8支援の集い

無実の人を死刑にするな

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日頃より、名張、袴田事件をはじめ冤罪事件にご支援いただきありがとうございます。
この間、全国のみなさんの粘り強い支援活動を力に、足利、布川、東電OL殺人事件の再審無罪確定をはじめ、東住吉冤罪事件の再審開始など大きな前進を勝ち取ってきました。
しかし、10月16日、最高裁第1小法廷(櫻井龍子裁判長)は、名張毒ぶどう酒事件の第7次特別抗告を棄却する不当決定を出しました。決定は、検察側の主張を鵜呑みにして「弁護側が新証拠として提出した証拠は、毒物がニッカリンTであることと矛盾しない」「自白の信用性にも影響を及ぼさない」と決め付け、弁護団が提出した新証拠や意見書に全く答えることなく名古屋高裁決定を追認しました。
また、事実上、再審請求人と弁護人に無罪の立証を求めるなど挙証責任の転嫁であり、「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の鉄則は再審にも適用されるとした最高裁「白鳥・財田川決定」に反する不当極まる決定です。
一方、袴田事件の第2次再審請求審は、5年間にわたる審理を踏まえて、12月2日までに検察、弁護側双方の最終意見書を裁判所に提出することが決定されました。同時に、弁護団が求めていた最終意見書にもとづく弁護団と袴田秀子さんの意見陳述が12月16日に行われ、これで事実調べは終了します。この間、再審の最大の争点である「犯行着衣」とされた5点の衣類について、DNA型鑑定や味噌漬け実験をはじめ証拠開示によって、5点の衣類が捏造であったことが明らかにされてきました。来年3月までには、再審開始の可否について裁判所が判断する見通しです。
名張毒ぶどう酒事件は、11月5日、第8次の再審請求が名古屋高裁刑事第1部に申し立てられました。奥西さんは、今年5月に手術を行い、その後2度も危篤状態になりました。両事件とも事件発生から半世紀もの歳月が経っても、いまだに司法によって救済されず、死刑の恐怖と長年の拘禁生活による病気とも闘いながら無実を叫び続けています。両氏の一刻も早い救出が求められています。
私たち各冤罪・再審事件の当事者と支援者は、名張、袴田両死刑再審事件が我が国の冤罪事件被害者の深刻な現状を示していると思い、司法の専門家との交流と学び合いを通じて、いま私たち市民にできることを探っていきたいと考え、今回の集いを計画いたしました。
無実の人を国家が罰することは、公正な司法で守られるべき国民すべてに対する不正義にほかなりません。一人でも多くの皆様が日比谷公園に足を運び、ともに考える機会を共有できることを願っています。

2013年11月


日 時    2013年 12月8日(日)  13:30~16:00( 13:00 開場)
会 場    日比谷コンベンションホール  (日比谷図書館地下)

   ● 記念講演
      「死刑再審事件の現状と課題」
      大出良知(東京経済大学現代法学部教授)
   ● 名張毒ブドウ事件弁護団報告
   ● 冤罪袴田事件・朗読劇
      無実の死刑囚・袴田巖の手紙 朗読 側見民雄、田中泰子
   ● サックス演奏 中川美保

主催:「なくせ冤罪! 名張、袴田事件の再審開始をめざす12・8集会」実行委員会/協賛:「冤罪File」
連絡先: 〒113-8463 東京都文京区湯島2-4-4 平和と労働センター5階 TEL:03-5842-5842

 ※詳しくはこちら→ file12.8チラシ表file12.8チラシ裏file当日のプログラム

☆名張毒ぶどう酒事件とは

 1961年、三重県名張市葛尾の公民館で行われた懇親会の席で出されたぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡、12名が重軽傷を負った事件。犯人とされた奥西勝さん(当時35歳)は過酷な取調べを受け、虚偽の自白をしましたが、その後一貫して無実を主張しています。しかし1審の無罪を2審で逆転死刑とされてしまい、無実の死刑囚として裁判のやり直しを訴え続けてきました。
 2005年4月5日、第7次の再審請求審で名古屋高裁刑事第1部は、再審開始と死刑の執行停止を決定しました。ところが、異議審で名古屋高裁刑事第2部は、検察側の異議申立てを認めて再審開始の取消しを決定。2013年10月16日、この決定を最高裁判所第一小法廷が追認。これにより再審の道はまたしても閉ざされる結果となりました。現在、弁護団は第8次の再審請求を準備中。

☆袴田事件とは

 1966(昭和41)年、静岡県旧清水市で味噌会社専務一家4人が殺された強盗殺人・放火事件が発生し、
袴田巖さんが逮捕されました。袴田さんは警察で長時間の取調べで「嘘の自白」を強要されましたが、裁判では一貫して無実を主張しました。事件から1年2か月後に工場の味噌タンクから血染めの「5点の衣類」が発見され、これが袴田さんの犯行着衣である
とされ、1980年に最高裁で死刑が確定しました。 第2次再審請求審では、袴田巖さんが無実であることを示す多数の証拠が検察によって長年隠されていたことが判明。さらに、DNA鑑定や証人尋問など一連の事実調べの結果、袴田さんを有罪とする決定的証拠とされた「5点の衣類」についても、袴田さんが犯行時に着ていた衣類だとする確定判決の誤りが明らかにされました。来春にも静岡地裁で決定が出される予定です。

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