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連載_事件支援に国際人権をいかそう!

【連載】 事件支援に国際人権を活かそう!

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「国際人権」ってなあに?①      いま、なぜ国際人権なのか?

国際人権を事件支援に生かすため、国民救援会国際問題委員会による連載を紹介します。

 「私の事件のとき、最高裁は『公選法は自由権規約に違反しないと解される』と一言述べるだけで、なぜ違反しないのか全く説明がなかった。今度こそ自由権規約の解釈を示して欲しい」__1986年の公選法弾圧事件をたたかった広島の祝(ほうり)一行さんは、国公法弾圧2事件の最高裁要請でこう語りました。確かに数々の公選法事件が国際自由権規約を掲げて最高裁に判断を迫りましたが、最高裁は規約に言及はしても中身には踏み込まないのが常でした。
 しかし、そのかたくなな最高裁が、初めて国際人権を肯定的に活用する判決をだしました。「国籍法違憲訴訟」大法廷判決です。(2008年6月4日)

最高裁が国際人権を活用!

 法律上の結婚をしていない日本人の父とフィリピン人の妻の間に生まれた子、いわゆる婚外子について、日本国籍を認めない国籍法の規定は憲法違反だと訴えたこの裁判。
 最高裁は、日本が批准した自由権規約や子供の権利条約でも「児童が出生によっていかなる差別も受けない」と規定していることや国際化のなかで親子・夫婦のあり方が多様化していることに言及し、国籍法の規定は憲法14条(法の下の平等)反し、婚外子への不合理な差別だとして違憲判決をだしたのです。
 そしてその2年後、国公法弾圧堀越事件で東京高裁は「わが国の国家公務員への政治的行為の禁止は、諸外国と比べ広範なものになっている。グローバル化が進む中で、世界標準の視点などからも再検討される時代が到来している」と述べ、逆転無罪判決を出しました。
 いま、国際人権の風が裁判所にも吹き始めました。この動きを一過性のものにさせないことが大切です。

変化を促した30年の蓄積

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 何がこうした変化をつくってきたのでしょうか。
 国際人権条約である自由人権規約と社会権規約の2つが日本で効力をもったのは1979年。それから30年、日弁連や人権NGO、学者・法律家がそれぞれの立場から日本の人権状況を国際水準に近づけるための努力を重ねてきました。裁判でも国際人権を活用した弁論が展開され、自由権規約委員会をはじめ国際的な人権機関にNGOから日本の人権状況が報告され、日本政府に改善を求める勧告がおこなわれてきました。
 国民救援会も1991年、ジュネーブの国連人権委員会に緒方宅電話盗聴事件「究明する会」や公選法事件関係者とともに代表を派遣したのを皮切りに、20年に渡って国連や人権条約機関に日本の遅れた人権状況を訴えてきました。
 こうした努力の蓄積によって、国際人権の風が司法にも吹き始めたのです。

学んで、活かそう国際人権

 国民救援会が2006年の第53回全国大会で綱領を改定し、「憲法と世界人権宣言、国際人権規約を守り、以下咲いて活動」することを確認したのも、国際人権を大いに学び、より主体的に変化を促進する立場からでした。
 国際人権はどうして生まれ、どう活かしていくのか__次回から連載で解説します。


「国際人権」ってなあに?②      人権に“国際”が付くのはなぜ?

 第2次世界大戦前、人権問題は、原則として国際法の規律としない「国内問題」=内政問題と考えられていました。
 しかし、第2次世界大戦以後、人権の尊重が国際関係の一般的な基礎をなすものとして条約上規定されるようになったのです。それは、1930年代の全体主義国家の登場により、人権問題が国際社会の関心事項としてクローズアップされたからです。

平和を守るために欠かせない人権尊重

 1930年代、イタリア・ドイツ・日本では全体主義・軍国主義の国家体制が出現し、政治的経済的困難を対外的侵略によって打開する政策(帝国主義政策)を推進するとともに、国内においては、ドイツのユダヤ人集団殺害のようにきわめて悲惨な人権抑圧がおこなわれました。これらの国では、強い国家や強い民族を強調して、個人の自由や基本的人権を国家や集団の力を弱めるものとみなしたのです。アジア・太平洋戦争では、2000万人のアジアの人民が、300万人の日本人民が犠牲となったと言われています。これらの国が、国際社会で平和を乱し、国内において人権を抑圧する行動をおこなったことから、国際平和を守るためには各国国内での人権尊重が欠かせないという認識が広まったのです。

人権問題を抱えた戦勝5大国

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 このようなことから国際連合の設立根拠となる条約である国連憲章にも人権規定が盛り込まれました。しかし、当然のように盛り込まれたのではありませんでした。最初の国連憲章草案には、人権規定はほとんどなかったのです。それは、戦勝国であった5大国は、それぞれの人権問題を抱えており、人権の尊重を主張することができないという事情があったからです。アメリカは、黒人に対する人種差別問題を抱えていましたし、イギリスやフランスは膨大な植民地を支配しており、とても人権の尊重が言える状況ではありませんでした。ソ連はといえば、自国及び東欧諸国の反社会主義体制運動に対する弾圧と粛正という問題を抱えており、中国はといえば、内戦が勃発していたのです。

世界のNGOの粘り強い主張で

 そのような状況のなかで、どのようにして国連憲章に人権規定が盛り込まれたのか。それは、ラテン・アメリカ諸国など中小国が強くその必要性を主張したこと、アメリカの国内各分野の42の非政府組織(NGO)が最期まで粘り強く主張し、求めたからでした。ラテン・アメリカ諸国やアメリカのNGOなどの奮闘があり、国連憲章には、第2次世界大戦前の諸条約の人権規定と異なり、人権の尊重がすべての加盟国一般に関するものとして規定され、また、人権の尊重が国際平和の基礎として規定されました。
 しかし、国連憲章の人権規定は、人権の助長・奨励をどのようにしておこなっていくのか、その具体的な内容を持っていませんでした。そこで、1948年の第3回国連総会で、「世界人権宣言」が採択されました。


「国際人権」ってなあに?③      かけがえのない人権の宣言

 国民救援会は、日本国憲法とともに世界人権宣言を羅針盤として活動しています。
 では、この世界人権宣言は具体的には何を宣言しているのでしょうか。「宣言」の前文は次の言葉ではじまります。
 「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利と承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である...」。
 ここでいう「固有の尊厳」とはどういう意味でしょうか。

人権保障は国際社会全体の課題

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 それは、私たちは生まれなが、一人ひとりに人間としての尊厳がそなわっており、あなたも私も、永遠の時間のなかでたった一度だけ生まれ、この宇宙のなかにただひとつしかない命であり、すべてのひとが等しく、人類社会の構成員の一人として尊い存在であるということを述べているのです。
 「譲ることのできない権利」とは、そのひとの人権はその人だけにしかなく、他のひとと交換できないということ。たとえ、まだ名前もつけられていない赤ちゃんでも、命と同時に授かった人権をもっているのだということです。
 そして、この人権を守らなければ世界平和もありえないこと(平和と人権の不可分性)、それゆえに人権保障は国際社会全体の課題であることを確認しているのです。

人権全般にわたる全30条の条文

 前文は続いて、自由で、恐怖と欠乏のない世界こそが人びとの最高の願いであり、国連加盟各国が、「人権の普遍的な尊重及び遵守の促進の達成」を誓約したことを確認します。
 そして、この宣言が「すべての人民とすべての国とが構成すべき共通の基準」であることを公布して締めくくられています。
 「宣言」は、人はみな、生まれながらに自由・平等で、生命と身体の安全が保証されること(自由権)、健康で文化的、人間らしい生活をおくる権利を持つこと(社会権)などを記した人権全般にわたる全30条の条文で構成されています。

世界人権宣言は人類の理性の到達点

 「宣言」の採択では一部の国が棄権・欠席しましたが反対する国は一国もありませんでした。
 また、植民地で採択に参加できなかった多くの国が、その後、独立したときに、「宣言」の内容を憲法に採り入れました。
 世界人権宣言は、文字通り普遍的な人類の理性の到達点であると言えるでしょう。
 人類は、今日に至るまで言語に絶する人権侵害を繰り返してきました。その犠牲を悼み、教訓に学び、地上のすべての人びとの人権保障を国際社会全体の課題と認識して、全人類共通の基準を宣言したのは人類史上はじめてのことで、とりわけ、この「宣言」に国家の責任を明記したことは画期的な意義があります。


「国際人権」ってなあに?④      人権宣言を実行化するために

 1948年に採択された世界人権宣言は、自由・平等で生命と身体の安全を保障されること(自由権)、健康で文化的、人間らしい生活をおくる権利をもつこと(社会権)を宣言しています。
 しかし、せっかく宣言しても、かけ声だけになってはいけません。国連人権委員会(当時)は、すでに世界人権宣言の草案を作成する段階で、原則を抽象的に宣言するだけでは不十分と認識し、加盟国に対して明確に法的拘束力を持つ規約(条約)と、これを加盟国が守ることを確保する具体的な実施システムも検討することを決定していました。

20年近い審議を経て国際人権規約を採択

 その後、20年ちかい審議を経て、1966年、第21回国連総会は、全会一致で国際人権規約を採択したのです。
 国際人権規約は、社会権規約(全31条)と自由権規約(全53条)という2つの条約で成り立っています。2条約の前文は共通で、ともに国連憲章と世界人権宣言の原則にもとづいており、社会権の保障は自由権の保障に欠かせない条件で、その逆もまた真であることを確認しています(人権の相互依存性)。第1条も共通で、すべての人民の自決権の保障が大前提であることを規定しています。
 また自由権規約は、規約人権委員会とよばれる委員会を設けました。委員は国家の代表ではなく個人の資格ではたらく、世界中から選ばれた国際人権の専門家で構成されています。また、加盟国には自国の人権状況を定期的に委員会に報告し、審査を受け、規約に基づき改善することを義務づけました(国家報告制度)。これは社会権規約同様で、こうした制度によって規約の実施を確保するのです.自由権規約の個人通報制度もこうした制度のひとつですが、本体条約とは別に批准する条約(選択議定書)として設けられています(日本未批准)。

自由権規約・社会権規約は世界人権宣言の双子の子ども

 国家が守るべき人権規定を地球規模で定めた国際人権規約は、まさに人類の憲法とよぶに値します。自由権規約・社会権規約は、いわば世界人権宣言の双子の子どもで、この3つの人権文書を国際人権章典とよびます。
 また、人権保障をさらに具体化するために人権宣言の孫に位置する条約として、人種差別、拷問、女性差別、障がい者、子どもの権利に関する多くの条約がむすばれており、現在も平和に対する権利宣言など、新たな人権文書の作成が進められているように、国際人権は日々発展しているのです。

絵に描いた餅にしないため市民運動が欠かせない

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 世界人権宣言起草委員会の委員長をつとめたエレノア・ルーズベルトは、この宣言は私たちの家庭や地域、職場や学校で活かされなければ何の意味もなさない、身近なところで人権を擁護する積極的な市民の活動がなければ進歩はとうてい期待できないのだと語りました。
 人権の促進を担当する事務局・国連人権高等弁務官事務所が、私たちNGOを国連のパートナーと位置づけるのも、人権を絵に描いた餅にしないためには草の根の市民運動が欠かせないと認識しているからなのです。


「国際人権」ってなあに?⑤  身近な事件での活用が世界につながる

 「国際人権活動ってカッコいいよね。ジュネーブやニューヨークでスピーチするんでしょ!」__ときどきこんな声を聞きます。確かに国際人権機関に日本の人権状況をアピールするのは大切な仕事ですが、実は国際人権の真骨頂は私たちの住んでいる地域の支援事件に活かしていくことにあります。

多くの裁判で活用された

 実際、自由権規約や拷問等禁止条約などの国際人権法は、日本国憲法や法律と同様に国内で適用される法規範なのです。そして、国民救援会や事件関係者はこれまでも数多くの裁判で国際人権条約を活用してきました。中村事件、祝事(ほうり)件、大石事件など代々の公選法事件(自由権規約第25条:選挙の自由)や国公法弾圧2事件(同第19条:表現の自由)はつとに知られていますが、他の支援事件__沖田国賠訴訟や小池代読裁判などでも、事件当事者と弁護団は裁判所の法廷で国際人権を語り、弁論を展開してきたのです。

運動が人権保障の基準に

 そのたたかいが、3つの大きな成果となりました。
 1つは、2008年10月の自由権規約委員会による「総括所見」です。代用監獄(留置場)や取調べの可視化など日本の刑事司法の問題点を鋭く批判し、また戸別訪問の禁止や選挙期間前の文書配布の制限、そして政治活動家や国家公務員による政治的なビラ配布の制限や禁止について“日本政府は表現の自由と参政権に対して課せられたいかなる非合理的な法律上の制約も廃止すべき”との勧告を出しました。
 2つ目は国公法弾圧堀越事件の高裁判決で、“世界標準という視点から公務員の政治活動の自由を再検討すべき時がきている”というフレーズまで引き出し、違憲無罪判決を勝ち取りました。
 そして3番目。自由権規約委員会が昨年9月に発表した規約第19条(意見と表現の自由)にかんするゼネラル・コメントです。ゼネラル・コメントとは、各国政府が規約を都合よく解釈しないように委員会が示す各条文の解釈基準で、すべての締約国に適用されます。ここで委員会は日本の「べからず選挙」を念頭に置き、戸別訪問の禁止や選挙運動文書の制限が規約に適合しないこと、言論表現活動に制限を課す場合も規約に定めた厳しい解釈基準に従うべきと示しました。長年の救援運動が、世界の言論・表現に関する人権保障の基準として、実を結んだのです。

国際人権を草の根で活かす

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 こうした委員会の勧告やゼネラル・コメントの発表は、いずれも、国民救援会や事件関係者などの草の根からの報告を国連の条約機関が重視していることの表れであり、堀越事件の高裁判決がいう人権の世界基準とは、全国でたたかう仲間が作っているのです。
 支援事件の勝利のために国際人権を活用することが、人権の世界水準をつくる仕事にもつながっていく__夢のある話ではないでしょうか。もっともっと幅広く、様々な身近な事件で積極的に国際人権法を活用し、人権をより豊かなものにしていきましょう。


「国際人権」ってなあに?最終回 グローバリゼーションのなかの国際人権

 連載の最後に、グローバル化した国際社会の中で国際人権が果たす役割を考えてみましょう。

失業や貧富の格差が深刻に

 経済の世界規模化とも言われるグローバリゼーションの功罪が論じられて20年余りがたちます。多国籍企業による搾取の強化の中で、失業や貧富の格差問題が地球規模で深刻化しています。「我々は99%だ。強欲で腐敗した1%には我慢できない」という、アメリカ・ウォール街に端を発した市民運動はその象徴ともいえます。ヨーロッパ社会や南米諸国も世界経済の一極化を図ろうとするアメリカの世界戦略から距離を置きながら、それぞれの地域共同体への結束を強めています。
 世界各地に子会社を置く多国籍企業は、安い賃金、甘い環境規制、低い法人課税など企業にとって有利な条件を求め、途上国の市場をこじ開けてきました。そうした多国籍企業の利潤追求の陰で、海外でも国内でも、その圧迫としわ寄せを受けるのはそれぞれの国で働く人々です。

 企業優先での人権侵害

 賃金の問題を取り上げてみましょう。多国籍企業は進出先の国で労働者を安い賃金で働かせ、十分な労働条件を与えません。他方、国内にあっても、国際競争に打ち勝つためと称して、非正規労働の割合をどんどん増やし、安い賃金水準と雇い止めの自由を手放しません。殊に日本ではこのことは正規労働者にも影響を及ぼし、長時間労働やサービス残業を常態化させ、過労死、過労自殺の原因となっています。
 賃金の搾取だけではありません。思想信条を理由とする労働者の解雇、中高年層の追い出し、女性労働者に対する差別、中小企業いじめ、公害の垂れ流しなど、大企業が利益をむさぼる中で、内外の働く人々の人権侵害は後を絶ちません。とりわけ多国籍企業を多く持つ先進諸国と、これを受け入れる途上国の経済力の差は歴然としています。弱い国の人々の押しつぶされた人権を救う手段はないものでしょうか。
 こんな時、多国籍企業の横暴を押さえ、民主的に規制する世界共通のルールがあれば人権侵害の脅威はいくらかでも取り除くことができます。しかし、残念ながら、経済のグローバル化は急速に進んでいるにもかかわらず、統一された世界法も国際裁判所もありません。

国際人権は普遍的人権規範

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 そこでいま、私たちの手中にある民主的規制の有力な手段が国際人権条約なのです。それぞれの国々が個別に加盟する仕組みですが、加盟国が多ければ多いほど国際的な人権規範としての機能は強力になります。現在世界193カ国のうち、国際人権規約の加盟国は自由権規約において167カ国、社会権規約において160カ国となり、すでに世界の8割を超える国の人々が同じ人権基準の下で暮らしていることになります。
 国連が人権向上のために果たしてきた役割は特筆すべきものがあります。グローバリゼーションを国際人権規約で規制しようという試みも幾度も重ねられてきました。今日では企業活動から人権を保護するための「国家の責任」が強調されています。国際人権は世界の人々の普遍的な人権規約=グローバルスタンダードとして今後ますますその活躍の場を広げるでしょう。

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