えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

No.56 再審えん罪事件全国連絡会ニュース

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2012年 4月20日発行 No.56

大阪・東住吉冤罪事件で再審開始決定を勝ちとる

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再審開始決定

事件から17年、真実への扉開く

 自宅に放火し娘を殺害したとして、無期懲役の刑を受けている青木恵子さん(48)と朴龍晧さん(46)が再審を求めていた大阪・東住吉冤罪事件で、3月7日、大阪地裁(水島和男裁判長)は、裁判をやり直す再審開始決定を出しました。事件から17年、真実の力が再審の扉を開きました。
 午前10時4分、裁判所から「開始決定」の垂れ幕を掲げて弁護団が出てくると、決定を待っていた大勢の支援者から、「やったぞ!」「よっしゃあ!」と歓声が上がり拍手に包まれました。
 第一報を聞いた朴龍晧さんのお母さんは、感極まった様子で飛び跳ね、「みんなの力です。感謝感謝!」と叫びました。

「火災実験」の証拠価値認め

 1995年7月、大阪市東住吉区の青木惠子さんの自宅が火災で全焼し、入浴中だった小学6年の長女が死亡しました。青木さんと内縁の夫の朴龍晧さんは、保険金目当てに自宅を放火し、長女を殺害したとして起訴され、2人は裁判で無実を訴えていました。2人の犯行を直接裏付ける証拠はなく、朴さんがガソリンを駐車場に撒き、ターボライターで火をつけたとする「自白」が重要な証拠とされ、有罪が確定しました。
 その後、弁護団が実施した火災実験により、「火災は、車庫の車のガソリンが漏れて気化し、風呂釜の種火に引火した可能性が高い」として、再審請求をしていました。
 水島裁判長は決定で、弁護団の火災実験の証拠価値を認め、「自白は信用できない」と判断。「新旧証拠を総合的に評価すれば、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じる」とし、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときに該当する」として再審開始を決定しました。
(救援新聞12年3月15日号より)

東住吉冤罪事件 3.7 再審開始決定!

「東住吉冤罪事件」を支援する会 事務局長 尾崎良江
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 大阪地裁第15刑事部(水島和男裁判長)は朴龍晧さん、青木惠子さんに再審開始を決定しました。
 2012年3月7日10時04分、弁護団が裁判所より門外に走り出て、「開始決定」の垂れ幕を。その瞬間、「やった!」「よかった!」の歓声と拍手の渦。一斉に報道のフラッシュ。そして、朴さんのお母さんのインタビューと興奮は続きました。2009年夏、大阪地裁に再審請求してから2年8ヵ月、弁護団とともにたたかってきました。ご支援ありがとうございました。
決定の詳細は弁護団の報告に譲りますが、結論には「各新証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出され,これと既存の全証拠とを総合的に評価すれば,確定判決の有罪認定に合理的疑いが生じたものと認められるから,無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときに該当する。」とあり、弁護団の主張を全面的に認めた画期的な内容です。弁護団の了解のもと冊子にし、大いに学習します。

報告集会

 「開始決定」の興奮が冷めやらぬまま、大阪弁護士会館へ移動し報告集会を持ちました。桜井昌司、稲生昌三、瑞慶覧淳、山田善二郎各氏、戸谷大阪府本部会長、藤木兵庫県本部会長はじめ、近畿、愛知、東京から約100名の参加で、朴さんのお母さんの喜びの一声で始まり、支援する会岸本会長のあいさつに続き、各参加者より「開始決定を勝ち取り、運動が実ったこと、再審無罪までがんばろう」等のねぎらいや励ましをいただきました。
決定の分析を終えた弁護団から要旨の報告があり、それぞれの感想に会場が一体となって、改めて喜びに浸るとともに「再審無罪までがんばろう」との決意を新たにしました。

朴さん、青木さんの喜びの声

朴さん 今はまだ信じられなくて、実感がわきません。これから気を引き締めて裁判にのぞまなければと思っています。面会や支援の声にどんなに励まされたことか、感謝しきれません。
青木さん 再審開始の可否決定が出る日にちが決まってからは緊張の毎日でした。私のために頑張ってくださった弁護団の先生方、支援する会、国民救援会の皆さんのおかげだと感謝しています。

大阪地検の即時抗告

支援する会では即日、大阪地方検察庁に電報35通、レタックス34通を発信し、7、8、9、12日と連日、延べ86名で「抗告するな」「異議は公開の再審裁判で」と要請し、団体からの要請書216通を届けましたが、大阪地検は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠があるとして再審開始の決定をしたことは失当であり」と決定を不服として12日、即時抗告しました。

支援のお礼と今後のお願い

 本ニュース第55号「3月に再審開始の可否決定 全国から大きなご支援を!」との特集で、前日の3月6日までに全国から3000筆を超える個人、115団体から署名が寄せられました。全署名を大阪地裁に提出しました。改めて、皆様のご支援にお礼申し上げます。今後は、大阪高裁に向けて「即時抗告を直ちに棄却せよ」との運動を展開することになります。今後とも、ご支援よろしくお願いいたします。

初めての無期懲役刑執行中の再審開始決定

東住吉冤罪事件 朴弁護団 竹下政行弁護士
竹下弁護士

 大阪地方裁判所第15刑事部は,本年3月7日,東住吉事件について再審開始決定をしました。

 まず,東住吉事件について紹介します。1995年7月22日,大阪市東住吉区の住宅街で火災が発生しました。その住宅には,内縁の夫婦であった青木惠子さんと朴龍皓さん,そして惠子さんの2人の子どもが暮らしており,火災のときに4人とも在宅していました。しかし,当時6年生だった女の子が亡くなってしまいます。痛ましい火災事故でした。とりわけ実の娘をなくした惠子さんは大きな精神的痛手を被っていました。
 ところが,火災発生からおよそ2ヶ月が経った9月10日,大阪府警は,日曜日の早朝に,惠子さんと龍皓さんの2人を任意同行の名のもとにそれぞれ別の警察署に連行し,保険金目的の放火殺人をしたとして自白を強要する取調を強行しました。
 その取調は苛酷を極め,罵りを加え,暴行を行い,傷心している2人に精神的な重圧を与え,思考を混乱させ,虚偽の情報を与えるなどのことがなされました。そのため,2人は嫌疑を認め,自白が獲得されてしまいました。その結果,逮捕勾留となってしまったのです。
 2人の自白は,数枚の自筆の文書にまとめ上げられましたが,それらは火災後任意同行までの任意捜査によって警察が収集した情報が盛り込まれた上,犯行状況や共謀の内容なども捜査官の誘導によって作り上げられたものでした。
 逮捕後,両名の依頼を受けた弁護士が接見をします。そして,両名は放火をしていない,虚偽の自白をしたと弁護士に訴えます。そして,両名は,弁護士のアドバイスを受け,再び自分たちは放火をしていないと否認供述をするようになりました。しかし,警察は,2人と弁護人の信頼関係を破壊し,否認すれば死刑になると不安を煽り,ついに,龍皓さんはその圧迫と不安に負け,再び虚偽自白をし,自分を守ってくれていた弁護人を解任してしまいました。惠子さんは勾留場所を拘置所とする勾留決定が取り消されたり,極端な接見制限をされたり,弁護人に対する誹謗を受けたりするなどの重大な攻撃にさらされましたが,弁護人の支援を受け,頑張りました。
 しかし,検察官は,2人を,別々に起訴しました。検察官の立証の柱は,龍皓さんの自白でしたから,認めている龍皓さんの有罪判決を得て,それを利用して否認している惠子さんのほうも有罪判決を得ようと考えたのだと思われます。ですが,この検察官の思惑はそのとおりになりませんでした。というのは,起訴後拘置所に移った龍皓さんは,真実を明らかにして戦うべきだと再び考え直して,公判で否認して争うことになったからです。

 有罪判決の内容
 惠子さん,龍皓さんには,別々の裁判官達が有罪判決を下しました。地裁,高裁,最高裁のすべてが冤罪の訴えを取り上げませんでした。
 確定判決が有罪とした根拠は,主に2点です。①放火以外の火災発生原因はまったく考えられないわけではないが,その可能性は抽象的な程度であって具体的なものではない,②龍皓さんの自白については,任意に供述されたものではないと疑う理由はなく,その内容は信用できる,というものでした。しかし,①の「抽象的な可能性があるにとどまる」というのは,②の自白が高度に信用できるということを理由にしているものと考えられますので,実際には,龍皓さんの自白が唯一の直接証拠であり,有罪判決の最大の根拠となっています。
 ところで,確定控訴審では,京都大学工学部の光藤教授・近藤助教授(いずれも当時)を鑑定人として,龍皓さんの自白内容が科学的見地から不合理か否かの鑑定が採用されていました。この鑑定の結論は,自白内容はガソリンの性質や目撃内容にある燃焼状況に鑑み,科学的に不合理であるというものでした。このように学識も経験も高度で,しかも客観的な立場の科学者の意見を平然と無視して,自白が信用できると断じ,極刑に準じる無期懲役に処した裁判は本当に恐ろしいものだと思います。

 再審の請求とその審理経過
  有罪判決確定後,両名の弁護団は,それぞれ再審請求の準備を行い,2009年7月及び8月に再審請求の申立をしました。
 再審請求は,上告審段階で行った各種の実験内容及び弘前大学伊藤教授・工藤助手(当時)作成の鑑定意見書を主要な新規証拠として行いました。
 大阪地裁は,再審申立後に,両事件を一緒に審理することを決め,裁判所,検察官,弁護人が出席して打ち合わせ期日を設定して,審理を行っていくことが合意されました。
 弁護側は,この再審審理の中で,検察官に対し,証拠開示の申立をして開示を行うよう求め,また,追加の実験を弁護側立証あるいは鑑定として採用を求めると表明してきました。
 再審請求をした翌年になり,担当裁判官が交替しました。弁護側は,行う予定の実験の内容について,自白の不合理性について実証的に明確にするため,火災が発生したガレージを出来る限り忠実に再現し,自白のとおりにガソリンを撒いてみるとどうなるかを考察することを目的としていることを説明しました。そして,その再現忠実性の精度をあげ,後出しジャンケンのようなことを防止するためにも火災現場の状況を明らかにする証拠については特に開示の必要性が高いと訴えました。この弁護側の要望は,数回の打ち合わせ期日を経た上で,裁判所の理解を獲得し,検察官からの証拠開示を得ました。もっとも求めていた証拠開示の多くについて検察官から存否の応答も得られなかったという点には課題を残しています。
 部分的ではありますが,重要な証拠の開示を受け,再審請求の審理は,再現実験の実験条件の設定などを巡り,弁護側が提案し,検察側が意見を述べるなどの打ち合わせ期日を経て,いよいよ再現実験の具体的実施の段階に進みました。

 再現実験の実施と証人尋問施行
 再現実験は,2011年5月,静岡県小山町で実施されました。予め実験日場所は打ち合わせ期日で告知しておりました。
 ガレージは大きさ,傾斜,ガス風呂バーナーを設置し,自白内容にあるガソリンを撒くための装置を考案して作成しこれを設置しました。模擬ガレージは不燃材料と不燃ガラスでビデオ撮影をして証拠とすることに備えました。
 龍皓さんの最終的な自白内容は,ガレージに車輛を駐車した後,①車輛の後ろ側からガソリン7・3リットルをゆっくり流して撒いた,②撒き終わった後,車輛の運転席側の後輪と前輪の間あたりにガソリンが流れ止まっていた,③その流れ止まったあたりに持っていたターボライターで着火した,というものでした。④なお,火災発生の時龍皓さんはパンツ一枚の格好でしたが,身体のどの部分にも火傷を負っていませんでした。
 今回の再現実験は,種火が燃えているガス風呂バーナーがある状況で,自白にあるような上記の①から③の行為が可能であるのか,④に記したように,龍皓さんが火傷を負わないということがあり得るのか,などのことが主要な検証テーマでした。
 再現実験は,弘前大学の伊藤昭彦教授が主宰し,ガソリンを撒く実験を都合2回行いました。いずれの実験結果も,ガソリンを撒き終わる前にガス風呂バーナーの種火のためにガソリン蒸気が引火して燃焼が発生すること,その燃焼は非常に激しく,猛然と黒煙を発生させました。この実験結果から,上記の①から④のことはいずれも生じ得ないということ,すなわち,龍皓さんの自白内容は現実には起こり得ないことものだということが明らかにされたのです。
 なお,打ち合わせ期日で,裁判官は,検察官に実験には立ち会うよう勧告をしておりましたが,それを受けて,検察官の代わりに検察事務官が現場に登場し,実験を見届け,その内容などをビデオに撮影しました。
 伊藤教授は,実験内容を踏まえた鑑定書を6月30日に完成しました。弁護側は,伊藤教授の証人尋問を事実取調として実施するよう裁判所に求め,裁判所はこれを採用し,8月26日に施行されました。
 伊藤教授は,火災・燃焼の専門家として,学術研究を長年行ってきていること,捜査・消防調査などに協力してきた経験もあること,今回実験の結果は,燃焼に関する学説や理論に合致していること,実験室での実験結果とも整合しているものであること,自白内容は科学的にあり得ないという結論は動かし難いことなどを画像データ,証拠物,文献などを示しながら要点を踏まえ,ビジュアル的にも理解しやすく証言しました。検察官の反対尋問も,教授の証言内容を左右することはありませんでした。

 審理終結と決定書交付へ
 伊藤教授の尋問を行った後に,双方の再審請求審での最終意見書を10月31日までに提出することが決まりました。尋問後にも双方ともに追加書証などがあったため,検察官の最終意見は11月になりましたが,双方の意見がすべて提出され,後は裁判所の決定の告知を待つばかりとなりました。
 裁判所からは,年が明けた2月28日になって,3月7日午前10時以降に決定書を交付するとの連絡がありました。

 再審開始決定!
 冒頭で述べましたとおり,3月7日付の決定は,惠子さん,龍皓さん両名について再審を開始するというものでした。
 本件決定は,再審事件での証拠の新規性について「確定審裁判所によって実質的な証拠価値の判断を経ていないことを意味すると解するのが相当であり,確定審後に作成された書証はもとより,確定審における未提出記録,不同意書証についても新規性があるものと認めるのが相当である」と説示しています。本件決定の直前に出された名古屋高裁金沢支部の福井事件に関する再審開始決定と実質的に同じ趣旨を述べるものであると認めますが,誠に正当な判断内容と評価しております。
 本件決定は,2011年小山町実験を中核とする新証拠群やそれに対する伊藤教授の考察について「実験結果に忠実に,理論的分析,検討がなされた結果導き出されたものである」とし,確定審段階のどの実験よりも本件火災時の状況をより忠実に再現したもので,証拠価値も高いと評価しています。
 そして,本件決定は,それらの新証拠によれば,そもそも撒いている途中で引火してしまうため,ライターで点火する余地がないのではないかとの疑問が生じるし,実験で見られる燃焼状況からすれば,自白とおりであるとすると何らかの火傷を負うのがむしろ自然であるというべきで,結局,龍皓さんの放火方法に関する自白は不自然不合理であると指摘しています。そして,本決定は,再現実験での燃焼は多量の黒煙が生じ,「火の海」となった状況を呈しているけれども,そのような燃焼や黒煙の状況は,龍皓さんの自白内容にも出てこないし,近隣住民の目撃内容にも出てこない,つまり,多量のガソリンを撒いて燃焼させたという自白は,本件火災の客観的状況ともそぐわないと鋭く説示しました。これらの指摘と説示は,本件事件の最も重要な事項を端的かつ明確に示しています。
 本件決定は,以上のように説示した後,2011年小山町新実験は再現忠実性に問題があるなどという検察官の意見について種々の観点から慎重に検討をしておりますが,最後に「検察官主張の諸点を検討しても,小山町新実験の再現忠実性に特段問題は見当たらず,異なった条件設定で実験が実施されていたとしても実験結果の重要部分は揺らがないと認められるのであって,既に指摘した請求人朴の自白に対して生じた疑問点を払拭されない」と締めくくっております。検察官の意見を丹念に検討し,それらが理由のないものであることを懇切に展開しているのは,本件決定の特徴点だと思っています。
 本件決定は,放火方法以外の自白内容についても複数の事項について検討を進め,
共謀の内容・回数・動機・殺害方法の選択などの主なところだけを見ても,不自然・不合理な内容が含まれていたり,変遷が認められたりする一方,秘密の暴露も存在せず,信用性を高度に補強するような客観的裏付けは存在しないと結論付けています。本件決定のこの説示は,裁判例の集積の中で採用されてきた自白の信用性判断基準を踏まえた適切なものであり,その端的な表現は秀逸であると受け止めています。
 弁護側は,再審開始決定を高く評価し,心から裁判所に対して敬意を表明しました。しかし,検察官は,直ちに不服申立をすることを表明し,3月12日,即時抗告を行いました。
 これにより,再審開始決定の適否について大阪高等裁判所で審理が行わることになりました。弁護側は,検察官の即時抗告が証拠と論理において間違っているものであることを明確にさせるべく前進していく決意です。

 刑の執行停止決定!
 弁護側は,再審開始決定を受け,大阪地方裁判所第15刑事部に対し,刑訴法448条2項に基づく刑の執行停止決定をするよう申立を行いました。検察官は,反対するとの意見書を提出しましたが,これに対してさらに反論する意見書や書証を提出し,刑訴法の学説・理論に照らしても,はたまた惠子さん,龍皓さんそのご家族の状況に照らしても,刑の執行停止がなされるべきが情理に適う所以であると訴えました。その結果,裁判所は,3月29日,職権を発動して,4月2日午後1時30分から刑の執行を停止するとの決定をしました。始期は弁護人が収容者先に赴いて身元引受人のご家族のもとに送り届けるために設定されました。自由刑執行中の再審開始決定の前例は不見当でしたので,無期懲役刑の執行停止決定も初めてであると思います。刑訴法の学者や実務家の叙述内容に従っている決定であり,決して破格ではないのですが,画期的な判断であると評価しています。
 この刑の執行停止決定に対し,検察官は,大阪高等裁判所に対して,抗告の申立をする一方,刑の執行停止決定を停止する職権発動を求める申立をしました。同じ趣旨の内容を複数の方法で行ったのは,この448条2項の決定に対しては不服申立をすることができないというのが唯一の見解であり,抗告は不適法となると予測していたからにほかなりません。
 しかし,大阪高等裁判所第4刑事部は,4月2日,検察官の抗告を容れ,刑の執行停止決定を取り消す決定をしてしまいました。執行停止決定の始期のまさに寸前で抗告認容決定がなされたものであり,惠子さん,龍皓さんにとってはとても惨いことでした。
 大阪高裁の抗告審としての決定は適正手続を定めている憲法に違反するなどの重大な問題があり,これをこのまま看過することはできません。弁護側は,特別抗告に及んでいます。


冤罪布川事件支援運動の歩み      守る会事務局長 中澤 宏

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 布川事件桜井昌司さん杉山卓男さんを守る会は、柴田五郎弁護団長、山本裕夫前事務局長、塚越豊事務局長のご推薦により、昨年12月1日「第26回東京弁護士会人権賞」を受賞しました。ご参考までに、守る会活動の概要をご報告いたします。なお、詳しくは後日守る会の記録集を刊行しますのでごらんいただければ幸いです。

布川事件再審・無罪の原動力は何か 7つの要素

 布川事件被告の桜井さんと杉山さんは、昨年5月24日、事件発生から44年ぶりに再審・無罪を勝ち取り6月7日に確定しました。この歴史的勝利の原動力について山本裕夫弁護団前事務局長は、第1に1967年別件逮捕された当時は不良だった二人が獄中で真実と向かい合うことで自分自身を成長させ、いかなる困難にもくじけることなく一貫して無実を主張し支援を訴えてきたこと、第2に二人の真摯な訴えが多くの人々の心を捉え、支援の輪が広がり、獄中の二人を励まし再審無罪の活動が途切れることなく続いたこと、第3に第2次再審請求では日弁連の物心両面にわたる援助に支えられた弁護団が、①旧証拠の問題点を徹底してたたく、②すべての論点に事実にもとづく科学的証拠を対置する、③隠されている証拠開示の徹底追求、の方針を貫徹し裁判所を説得したこと、第4に被告、弁護団、支援者の共同した戦いで、請求を棄却すると司法の権威が失われる状況を作り出したこと,第5に2005年水戸地裁土浦支部の再審開始決定に先立って,一度は再審開始を勝ち取った大崎事件(2002年)、名張毒ぶどう酒事件(2005年)、証拠目録を開示させた日野町事件、新たなDNA型鑑定で無罪を勝ち取った足利事件などの再審事件の戦い、志布志事件、氷見事件、大阪地裁所長オヤジ狩事件、防衛医大教授痴漢事件、厚生労働省村木事件を始めとする冤罪事件の戦いが影響を与えたこと、第6に松川、白鳥、八海、財田川、仁保事件などの再審冤罪事件支援運動の成果が引き継がれてきたこと、第7に真実の力が二人をつなぎ、二人を育て、みんなを動かし裁判官の心を動かしたことをあげています。

守る会の生みの親は国民救援会

 1968年から1970年まで、布川事件の裁判が水戸地裁土浦支部で行われていた第1審のころ、桜井昌司と杉山卓男はごく一部の親類、友人らに支えられているのみでした。多くの人々に知られることなく、裁判は正義と真実に反する方向で進められていました。しかも、何一つ彼らを犯人とする確かな証拠がないゆえに本人たちはもちろん、家族・親戚たちも「無罪判決間違いなし」と信じていましたが、その期待を裏切って1970年10月、第1審で無期懲役の判決が出されてしまいました。
 不当判決を受けて,杉山さんの親族の高谷清三さんが勝てる弁護士を求めて松本善明法律事務所を訪ねたとき、当番をしいていたのが柴田五郎弁護士でした。柴田弁護士は日本国民救援会に支援を求めるとともに、桜井さんと杉山さんに面会し「この事件は弁護活動だけでは勝てない。国民に支援を訴えろ」と指示しました。
 当時東京拘置所に収監されていた桜井さんと杉山さんに名簿を提供し、獄中からの要請にこたえて支援に立ち上がった人々を激励し、守る会結成を援助してくれたのが日本国民救援会の方々でした。戦後、松川事件から始まった守る会運動は白鳥事件を始めとする冤罪事件犠牲者支援運動に引き継がれていました。初代会長で劇作家の村山知義さん、代表世話人の女優故北林谷栄さん、同じく弁護士の故中田直人さん、東京都立大学名誉教授の故清水誠さん、東北大学名誉教授の小田中聡樹さんはそれらの運動・縁に連なる方々です。
 日本国民救援会は、1927年9月に起きた千葉県野田醤油の労働争議支援を契機として大衆的犠牲者救援組織作りが始まり、翌1928年「解放運動犠牲者救援会」として発足、戦前の治安維持法下で国家権力による弾圧犠牲者の救援を担ってきました。1945年再建された救援会は松川事件、白鳥事件、死刑確定4事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)などの冤罪事件を支援してきました。戦後、松川事件から始まった「守る会運動」はさまざまな冤罪事件の支援運動に引き継がれ経験を蓄積していました。

1971年~獄中からの訴えが始まる。しかし、高裁では傍聴支援にとどまっていた

 柴田弁護士の要請にこたえ、救援会東京都本部専従の高橋勝子が名簿を用意し切手をカンパしました。仁保事件の中心的支援者小沢千鶴子も名簿を提供、白鳥事件被告村上国治も協力してくれました。桜井さんと杉山さんは毎日のように支援要請の手紙を指の骨が曲がるほど書き続けました。桜井さんは累計1万通、杉山さんも数千通に及びました。守る会第2代事務局長の新井英明は72年に二人から手紙を受け取り文通を始めました。この時期に二人から手紙を受け取ったことで支援運動に参加したのは守る会代表世話人故清水誠、第4代事務局長細矢真澄、現救援会茨城県本部事務局長の横倉達士を始め多数に上ります。後に結成される守る会の中心メンバーは文通で二人の無実を確信した人たちでした。しかし、具体的支援としては救援会中央本部の中村和生や東京都本部の稲田実(元八海事件被告)ら専従者が裁判傍聴を行う程度にとどまっていました。

1973年8.28利根町布川公会堂で『真相報告会』開催 目に見える初めての支援活動

 1973年3.5救援新聞『公判集会欄』で3月2日の公判案内。7.5『公判集会欄』で7月24日の公判案内。7.15『私は犯人ではない』欄で事件を紹介し、要請運動を呼びかけました。8.15救援新聞に『判決9月25日に決まる。8月28日に地元集会』とあります。
 8月28日、利根町布川公会堂で『真相報告会』が開催され50名が参加、吉田信孝裁判長宛要請決議を採択しました。この取組みが目に見える形での初めての支援活動でした。
 9.5救援新聞『獄中からの便り欄』桜井「差し入れの便箋で友人に真相報告会への参加を呼びかけている」杉山「高裁になってから世間の人達から温かい支援を受けて嬉しい。判決まで1ヶ月、ご支援をお願いします」。9.15『獄中からの便り欄』桜井「真相報告会の様子、母から聞きました」10.15『獄中からの便り欄』杉山「11月6日に判決が延期された。立命館大学の人から激励の手紙をもらった」。10.25『ひろば欄』桜井「今度こそ無罪に!」11.15『ひろば欄』桜井「12月20日に判決が再延期、でっち上げの理屈を考える時間稼ぎであってはたまりません」が掲載されました。

1973年12.20 2審判決 控訴棄却(東京高裁)

 桜井さん杉山さんや支援者の願いもむなしく東京高裁は1審無期懲役を支持、控訴は棄却されてしまいしました。1974年1.15~6.15救援新聞に二人の獄中からの怒りの手紙が5回に渡って掲載。6.25『布川事件の特徴』を柴田弁護士が寄稿。7月の日本国民救援会第29回全国大会で布川事件関係者として高谷清三が壇上で紹介されました。10.29上告趣意書を最高裁判所に提出しました。1975年7.27 日本国民救援会第30回全国大会で布川事件の支援決議を採択しました。獄中の桜井さん杉山さんも救援会の助言と援助を受けて活動家に訴えの手紙を書き、守る会作りが進みました。9.10第1回学習会(出席31名)、10.9第2回学習会(出席18名)、11.9第1回現地調査(参加35名)など事件の理解を深める活動が行われました。12.12守る会結成第1回準備会。守る会ニュース1、2号発行。

1976年1月19日守る会結成

 1.12第2回準備会を経て、白鳥事件の被告村上国治さんや仁保事件の中心的な支援者小沢千鶴子さんなどの経験や人脈を引き継いで,1月19日、布川事件守る会が誕生しました。 総会では村山知義会長、三村実夫事務局長、常任世話人16名を選出しました。松川から白鳥へ、そして布川へと守る会運動は引き継がれました。白鳥事件被告村上国治が組織化に大きな力を発揮しました。

1978年無期懲役確定 獄中の二人を励まし育てた守る会

 しかし、結成間もない守る会の力は小さくすでに最高裁の段階だったこともあり、原審での支援運動は不十分なまま、1978年7月上告棄却・無期懲役が確定します。このとき特筆すべきは、守る会のメンバーが連日二人を激励しながら、再審をにらんで柴田弁護士とともに法務当局に二人一緒に関東近辺の刑務所に収容するよう熱心に働きかけ、同年8月千葉刑務所に移送させたことです。以来1996年11月の仮出獄まで、守る会は親族以外の特別面会人を認めさせて18年間毎月欠かさず激励面会を続け,刑務所当局に処遇改善を訴えてきました。この間獄中の二人と支援者の橋渡しのために3000通に及ぶ手紙を書き続けた国民救援会東京都本部の高橋勝子さんも二人を励まし育てた一人です。
 1983年12月、被害者の死後経過時間を主要な争点に第1次再審請求が行われ1992年特別抗告が棄却されるまでの間、守る会は裁判所に対する署名・宣伝に取り組む一方、獄中の二人を励ましつつ、支援者と二人を結びつけるための詩集や書簡集の刊行、支援コンサート・美術展の開催に精力的に取り組みました。第1次再審請求棄却後は、運動目標を仮出獄の実現に切り替えて署名・要請・宣伝に取り組み1996年11月、二人の仮出獄を実現させました。

仮出獄後の二人の奮闘が弁護団と守る会・支援者を励ます

 1996年の仮出獄から再審開始決定までの二人の生活ぶりについては、昨年公開され「キネマ旬報ベストテン文化映画部門第1位を始め数々のドキュメンタリー賞に輝く「ショージとタカオ」に描かれていますが、仮出獄後の二人の奮闘と現実の二人に接したことで支援運動が飛躍的に前進し、2001年12月、満を持して第2次再審請求が行われました。
 以後、2005年9月の水戸地裁土浦支部の再審開始決定、2008年7月の東京高裁即時抗告棄却を経て、2009年12月の最高裁特別抗告棄却まで、守る会は毎月裁判所要請・宣伝・署名に取り組み、20万筆を超える署名が全国から寄せられました。また、都内では山手線各駅、御茶ノ水、立川、銀座マリオン前、地方では土浦、取手、水戸、千葉の各駅などで毎月宣伝を行い、地元利根町では隔月で全戸配布に取り組みました。守る会の活動を伝え支援を呼びかける「守る会ニュース」は1984年から毎月発行体制を確立し、2011年11月現在で377号を数え、発行部数は4000部に及びます。
 現地調査の毎年開催(計38回)、刑務所への毎月激励面会、第2次再審請求からは裁判所への毎月要請・宣伝、駅頭での毎月宣伝、1984年から2010年まで38回の支援コンサートを開催、事件関係資料の作成と学習会開催など、守る会運動を貫いているのは「事実と道理に基づいて支援を訴え、裁判所を説得する」姿勢であり、「継続は力、至誠天に通ず」の精神です。

請求人、弁護団、守る会がお互いを信頼しあう

 請求人、弁護団、守る会はお互いの立場を尊重しつつ協力して運動を展開する中で信頼関係を強めてきました。第2次再審請求からは弁護団会議に請求人と守る会代表が常時参加し自由に意見交換しあうことが定着しました。
 開かれた請求人、弁護団、守る会の活動を見事に描いたのが前記「ショージとタカオ」です。さまざまな支援運動体と弁護団、請求人との関係を見るとき、単に三者間だけでなくマスコミや事件に関心を持つ人々をも含めて布川事件ほどオープンに運動をすすめている例を知りません。「真実の前に隠すべきものは何もない」これは三者の共通した認識です。また、お互いを励ますことによって逆に励まされる=「やる気の連鎖」を実感しています。請求人桜井さんの「明るく楽しい布川事件」はこうした三者の信頼関係から生まれたキャッチフレーズです。布川事件の再審無罪は総合力の勝利と言うことができるでしょう。

冤罪布川事件経過


1967年(昭和42年)8.28 布川事件発生
8.30玉村象天さん殺し発覚
10.10 桜井さん窃盗容疑で別件逮捕
10.16 杉山さん暴力行為容疑で別件逮捕
12.28 両名強盗殺人で起訴。
1968年 2.15 第1回公判(水戸地裁土浦支部)
1970年 10.6 第1審判決(   〃    )無期懲役
杉山さんの親族高谷清三さんが松本善明法律事務所の柴田五郎に弁護を依頼
柴田弁護士が日本国民救援会に支援を要請、桜井・杉山に支援を訴えるよう指示
1973年 3.5 救援新聞に事件が紹介される
8月28日に地元で『真相報告会』開催
1973年 12.20 2審判決 控訴棄却(東京高裁)
1975年 7.27日本国民救援会第30回全国大会で布川事件の支援決議。
1976年 1.19 守る会の設立 村山知義会長、三村実夫事務局長
1978年 7.3 最高裁上告棄却(最高裁第1小法廷) 無期懲役確定
8月 桜井・杉山千葉刑務所に下獄
1983年12.23 第1次再審請求申立
1987年3.31 第1審 請求棄却
1988年2.22 第2審 即時抗告棄却
1992年9.9 第3審 特別抗告棄却
1996年11月 桜井・杉山千葉刑務所から仮出獄
2001年12.6 第2次再審請求申立
2005年9.21 第1審 再審開始決定(水戸地裁土浦支部)
2008年7.14 第2審 即時抗告棄却決定(東京高裁)
2009年12.14 第3審 特別抗告棄却決定 再審開始確定(最高裁)
2010年 7月 再審公判開始。12月まで公判6回(7.9、7.30、9.10、10.15、11.2、12.10)
2011年5.24 再審無罪判決。6.7検察の上告断念により布川事件の無罪確定。

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三重・名張毒ぶどう酒事件     奥西さん救出は「待ったなし!」

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愛知 10万人署名突破に全力各地で宣伝・署名行動

 6月までに再審の可否の判断が予想されている名張毒ぶどう酒事件で、再審開始決定から7年、差し戻しから2年となる4月5日に、名古屋高裁前で「待ったなし」宣伝行動がおこなわれ100人が参加しました。
 はじめに阪本貞一愛知県本部会長が、「すでに入れられた農薬は科学的にも奥西勝さんの自白と違うことが明らかとなった。司法が裁かれていることを自覚して再審開始決定をただちにおこなえ」とあいさつしました。
 奥西さんの特別面会人の稲生昌三副会長は、「奥西さんは裁判所を恨むのではなく、裁判所が無罪判決を出さない限り、自分は救われないといっている」と訴えました。
 熱田支部の長澤やよいさんが「どうか最後になるやも知れない、最後のご支援を心よりお願いします」との、奥西さんのメッセージを読み上げ、愛知守る会の杉原祥子さんは、「無実の人を半世紀以上も苦しめる、こんな非人道的なことは許せません。冤罪だと知ってしまった者の責任として、奥西さんを救うまで頑張りたい」と話しています。
 最後に参加者全員で裁判所に向かって「名張事件の再審を、今すぐ開始せよ」「無実の奥西さんを、今すぐ釈放せよ」とシュプレヒコールをあげました。

桜のチラシで支援アピール

 尾北支部は4月6日から8日の3日間、連続で署名行動をおこないました。
 ドラマ「功名が辻」で一躍脚光を浴びた山内一豊ゆかりの地・岩倉市の五条川の千本桜に大勢の花見客が訪れるなか、「名張事件の一日も早い再審開始を」と書かれた横断幕を掲げ、桜の花の形をしたピンク色の事件チラシを配布し、10人近くの会員が署名の協力を訴えました。
 3日間で名張事件151人分、福井女子中学生殺人事件23人分、国公法弾圧事件50人分を集めることができました。天候にも恵まれ足を止め署名に応じる人や、「奥西勝さんは今年86歳、事件発生から51年が経ちました。無実の冤罪犠牲者を助けてあげてください!」の訴えに「まだ終わっていないのか?」「裁判が長すぎる」「がんばってください」などの声が多く寄せられました。10万人署名に向けてあともう少しと、春風の強い中でしたが、支部が一丸となって署名にとりくもうと励まし合いました。

雨にも負けず5時間の行動

 花見客でにぎわう名古屋市昭和区の鶴舞公園で4月9日、名張毒ぶどう酒事件の「お花見宣伝行動」がおこなわれ、5時間の行動で569人分を集めることができました。当初5時間で500人分を目標としていましたが、雨の中最後まで粘って、超過達成することができました。(愛知県版・再審開始をめざすニュースより)


えん罪袴田事件の早期再審開始決定実現に向けて

第7回全国現地調査にご参加下さい

袴田 巌さん

 えん罪袴田事件に対する温かいご支援ご協力に感謝申し上げます。
 2008年4月25日に第二次再審請求を申し立ててから、もうすぐ4年になろうとしています。第一次再審請求審では、検察側が未提出記録の提出を拒み続けたために、27年もの年月を無駄に過ごしてきた経過があります。
 今回、検察側が開示した未提出記録の中に、袴田巌さんの無実を証明する証拠が含まれていることが明らかとなりました。事件から一年二ヵ月後に発見された5点の衣類のDNA鑑定の結果、被害者の血痕は検出されませんでした。
 袴田巌さんをこれ以上獄中に閉じ込めておく必要はなく、直ちに釈放して健康を回復させることが急務です。
 袴田事件の再審開始を早期に実現させるために、下記の日程で全国現地調査を行います。ご多忙とは存じますが、えん罪で苦しんでいる袴田巌さんを救うために、ご参加とご協力をお願いします。

                       < 記 >
【第1日目】
 と き  6月24日(日)受付13:00~ 開会13:30~16:00
 ところ  清水テルサ 6階   事件現場での説明
 報 告  袴田事件弁護団 弁護士 小川秀世氏 訴え 袴田秀子さん
 宿 泊  三保園ホテル   
【第2日目】

 と き  6月25日(月)9:30~12:00
 ところ  静岡県弁護士会館
 報 告  前日に続き 他、質問や要請行動について 
 要請行動 静岡地裁・静岡地検など 
     
※参加費  12.000円 (宿泊費と資料代含む)(宿泊には事前登録が必要です。)
 <郵便振替 00810-0-68052 サンコートラベル 袴田事件参加費と記入>
※資料代  500円(宿泊以外の方)
※お申込みは6月10日までにお願いします。

連絡先 〒420-0037 静岡市葵区人宿町2-2-2
      日本国民救援会静岡県本部・えん罪袴田事件の再審を支援する会

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