えん罪事件の真相を広め、裁判支援、在獄者の処遇改善運動をすすめています

No.93再審えん罪事件全国連絡会ニュース

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2019年  4月 5日発行 No.93

 熊本・松橋事件  

35 年目、殺人の汚名晴らす

宮田さんに再審無罪判決、即日確定

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1985年に熊本県松橋町(現・宇城市)で発生した殺人事件で、殺人罪などで起訴され懲役13年の刑を受けた宮田浩喜さんの再審裁判の判決公判が3月28日熊本地裁でおこなわれました。溝国禎久裁判長は、宮田さんが「被害者殺害の犯人であることを示す証拠はなく、被告人が被害者を殺害したとは認められない」として、無罪を言い渡しました。
再審公判では、有罪判決の根拠となった宮田さんの自白は証拠採用されませんでした。
その理由について判決は、再審請求審での取り調べで、自白に客観的事実との矛盾があり、信用性が否定されたことや、宮田さんの年齢や体調などを考慮して迅速な審理をするのが適当だと判断したと述bべました。しかし判決は、警察による見込み捜査と自白強要、検察官の証拠隠しによって誤った裁判がおこわなれたことに対しての言及はありませんでした。
判決直後に弁護団は検察庁に赴き、上訴をしないよう要請。これを受けて検察が上訴権を放棄する手続きを取り、宮田さんの無罪判決が確定しました。

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認知症をわずらい寝たきり状態の宮田さんは、公判後に介護施設に面会に来た弁護団から報告を受けました。弁護団共同代表の齋藤誠弁護士によると、顔を近づけ「宮田さん、無罪ですよ」と繰り返し声をかけると、思いが伝わったのか、表情を歪めて目に涙を浮かべたとのことでした。
布川事件の桜井昌司さんと東住吉冤罪事件の青木惠子さんも判決直後に宮田さんを訪ね、花束を渡して祝福しました。ただ、宮田さんは青木さんの声かけや花束に反応することはなく、車いすに座って宙に視線を置いたままでした。
桜井さんは「34 年闘ってきたが、宮田さんはこの喜びを味わえない。誰がこんなにしたのか。警察がウソの自白をさせ、証拠を捏造し、検察はウソの証拠で平然と有罪を主張して冤罪が作られた。いろいろな冤罪事件で無罪判決が出ても、何も変わらないのはなぜか。今もたたかう冤罪犠牲者を救うために、これからも声をあげていきたい」と話しました。


 滋賀・湖東記念病院人工呼吸器事件 

再審開始、最高裁も認める

検察の理由なき特別抗告を最高裁が一蹴

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入院患者の人工呼吸器を外して殺害したとして有罪となった元看護助手の西山美香さんが求めていた再審請求について、最高裁第2小法廷は裁判官全員一致の決定で3月18日、検察の特別抗告を棄却し、2017年12月に大阪高裁が出した再審開始決定が確定しました。近く大津地裁で誤った裁判をやり直す再審公判が開かれることになります。
通知が届いた3月19日、記者会見で主任弁護人の井戸謙一弁護士は、「検察の特別抗告は、特別抗告の理由に値しない事実誤認の主張で、検察は死因が自然死でないとする医師の意見書や検察官調書を次々と提出したが、最高裁はこれらを一蹴した。この判断を弁護団は高く評価している」と述べました。同席した西山さんは、スーツ姿で会見に臨み、次のように述べました。
「待ちに待った再審開始決定を裁判所からいただくことができたのも、井戸先生率いる弁護団をはじめ、私を支える会の伊藤先生たち、それと国民救援会の支援者の皆様のおかげです。私は何度もあきらめかけました。もう再審したくないと言いました。でもそのたびに井戸先生は私を励ましてくれました。私は何一つできていなかったんですけれども、やめずにここまで来たことはよかったと思います。皆さん、私を元気づけてくれたり、やさしくしてくださり、本当にありがとうございます」時折涙ぐみながら支援へのお礼を述べた西山さん。最後に、「私はまだ無罪判決をもらっていません。これからもどうか、私をご支援していただけるよう、よろしくおねがいします」と締めくくりました。


 栃木・今市事件 

現地調査に 144 人が参加

自白の矛盾を現場で確認
2005年、今市市(現日光市)の小学1年生の女児が遺体で発見され、 勝又拓哉さんが一、二審で無期懲役判決を受けた今市事件の現地調査が2月 23 日~23 日、遺体発見現場となった常陸大宮市内で開かれ、10 都府県から144人が参加しました。

 自白の矛盾が鮮明に

現地調査をした常陸大宮市の山林は、一審の裁判員裁判で殺害と死体遺棄現場と認定されたものの、二審の東京高裁で殺害現場を「栃木県、茨城県およびその周辺」へと不当に訴因変更されたことから、殺害現場という認定ではなくなっています。しかし、勝又さんの自白と現場の客観的状況を確かめ、自白の矛盾をあらためて確認するために、今回現地調査をおこなうこととなりました。

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弁護団の一木明弁護士は、「6~7 秒で 10 回胸を突き刺した」とする勝又さんの自白にもとづく殺害の様子を人形を使って再現。肩を掴んで刃物を突き刺せば、体は回転して傷の角度も変わるはずなのに、遺体に残された傷はどれもほぼ同じ角度になっており、遺体の状況と矛盾すると指摘しました。また、遺体があった場所や血痕の場所を示し、「遺体からは少なくとも1リットルの血液が流出したにもかかわらず、現場に血液が残っていなかった」と指摘。実際の血液を土中に染みこませる実験の結果も示しながら、自白の矛盾を確認しました。
また、宇都宮からバスで参加したメンバーは、はじめに有罪の状況証拠の一つとされた国道のNシステム(自動ナンバー読み取り装置)に立ち寄りました。これは勝又さんが遺体発見現場の行き帰りに通過した記録が出たとされるもので、そこから 1 時間以上かけて 30 キロ近く離れた遺体遺棄場所まで向かったとされています。参加者からは、「現場からこれだけ離れているのに、そこに行った証拠と認定するのはいくらなんでもおかしい」と怒りを滲ませる声があがりました。

 目を付けられた勝又さん

二日目は学習会がおこなわれ、一木弁護士が最高裁の上告趣意書のポイントを中心に解説しました。一木弁護士は、事件から7年半経過した時点でも、警察は 50 人体制で捜査をしており、賭けに出る気持ちで勝又さんの逮捕に動いたのだろうと指摘。証拠が存在しないので、自白を取れなければ立件できないことから、小学生の時に日本に移住し、会話能力も低く社会経験も少ない勝又さんが目を付けられたのだろうと推測しました。
また、捜査期間中に「勝又さんのパソコンに被害者の写真があった」とか、「現場付近のコンビニのカメラに勝又さんの車が映っていた」などの報道がなされたが、すべてガセネタだったことから、「警察は、裁判員裁判を念頭に、勝又さんが犯人であるという先入観をもたせるため、意識的にマスコミを利用したと批判しました。
まとめとして、一木弁護士は、公判を開かず動きが見えない最高裁こそ、支援運動で勝利を切り開けると参加者を激励しました。


「冤罪犠牲者の会」が結成総会

3月2日・東京 当事者の力で司法を変える

(今井恭平)

冤罪を晴らすためには、個別事件のたたかいとともに、法制度そのものを変える必要がある。再審無罪を勝ちとった冤罪者から、いままさに身に覚えのない嫌疑を晴らすためにたたかっている人まで、当事者と家族による「冤罪犠牲者の会」が発足した。

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 冤罪当事者の手で日本の司法を変える

さる3月2日、東京都内で「冤罪犠牲者の会」結成総会が開かれた。会場には、100名近い参加者と各社の報道陣が詰めかけた。
主催者から配布された資料によれば、当日までに 50 件近い冤罪事件の当事者、家族が加入を表明している。会場には、その約半数の 20 数事件の当事者が出席した。中でも、検察の特別抗告とのたたかいの最中にある袴田巖さんが、姉の秀子さんとともに姿を見せたことは参加者に大きな励ましを与えた。

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発起人の一人として挨拶した桜井昌司さん(布川事件)は、「犠牲者の会」立ち上げを決意したきっかけの一つが、袴田さんの再審決定を取り消した昨年6月 11 日の東京高裁決定(大島隆明裁判長)にあったと言明。
「こんなことがあるのか、裁判官なら何をしても許されるのか、という大きな虚脱感に襲われた」と述べた。
さらに1か月後の7月 11 日、大津地裁(今井輝幸裁判長)が日野町事件の再審開始を決定したことに関連し、次のように語った。
「請求審で証言した一人の警察官は、有罪証拠とされた写真が捏造されていたことについて『こんなことはよくあること』と言い放ったんです。これを聞いた故・阪原弘さん(無期刑で服役中に逝去)の家族は、『石を投げてやりたいくらいに悔しかった』といっていた」。「何とかならないものか」という声が高まる中で、「よし、その声を集めて何とかしよう」と決断したという。
「無罪を勝ちとるまでに、私たちは多くの支援を受けてきました。今度は、他人に助けてもらうのではなく、犠牲者自身が立ち上がって、この日本の司法制度を変える運動にする」桜井さんは、こう言明する。

 冤罪で変わる台湾の司法

この後、記念講演が行われた。講師は、今春から一橋大学で教鞭を執る、李怡修さん。台湾イノセンス・プロジェクト(TIP)での活動経験をもつ。
李さんの講演は、TIPの活動の紹介とともに、実際におきた冤罪事件と、その教訓を汲み取りながら刑事司法の適正化をはかってきた台湾の歩みを具体例にそって解説するもの。日本の司法の現状との違いの大きさに、会場からため息がもれるほどだった。
中でも証拠開示制度の充実は、日本との落差の大きさが驚きを呼んだ。
事件が確定すると、捜査段階から公判段階、確定判決までに収集されたすべての証拠が「一件記録」として保管される。再審を申し立てようとする弁護人は、このすべてを自由に閲覧・謄写することができる。請求人(元被告人)自身も同様に全証拠にアクセスできるよう、法改正されることが決まっている。つまり日本のように、証拠開示請求する必要性そのものが存在しない。
また、1982年に起きたある冤罪がきっかけとなり、取調べに弁護人が立ち会うことが保証されるように法改正された。これは、強引な取調べで自白させられた被疑者が、現場検証のすきをついて飛び降り自殺したという悲惨な出来事。後に真犯人が現れ、大きな問題となった。
その年のうちに刑事訴訟法が改正され、弁護人の取調べ立ち会い権が確立した。冤罪の教訓が時をおかずに法改正などに結びついたという事実と、これだけ冤罪が立て続けに明らかになっても、法改正どころか反省もなく開き直る日本の警察、検察、裁判所との対比は何を意味するのだろうか。

 証拠開示・検察官上訴禁止などを求める

続いて毎月大阪で反冤罪を訴えてライブ活動をしている SUN-DYU さんたちのラップユニットMIC SUN LIFE(マイク・サン・ライフ)のミニライブが行われた。
「冤罪をつくった捜査・裁判関係者は、ごめんなさいといえる人になろう」と歌う彼らの切れの良いラップとダンスは、会場を一気に活気づけた。
この後、会に参加を表明している当事者、家族の一人ひとりが発言にたった。
討議ののち、全会一致で、「会の行動目的」を「冤罪犠牲者を作らせない法律と再審のルールを作る」とし、次の項目を決議した。
  (1)裁判当事者に証拠閲覧権を与える
  (2)検察の上訴権廃止
  (3)国会に冤罪原因調査委員会の設置
  (4)冤罪確定時の関係者の処罰
  (5)再審審査会の設置(再審判断を第三者の手に)
  (6)証拠管理所の設置(警察と検察の証拠悪用を防ぐ)
「私たちは警察の自白強要と証拠捏造、検察の証拠隠しの事実を知っています。経験しています。その嘘と出鱈目に苦しめられました」(結成案内)という当事者だけのもつ切実さから生み出された運動。私たちも連携を強めていきたい

【資料】冤罪犠牲者の会結成のご案内

全国で冤罪と闘う仲間のみなさんに案内を送らせて頂きます。
近年、冤罪事件の存在は社会的に認められるようになりました。学校でも教えられますし、テレビなどでも放送されるようになりました。これは氷見事件の真犯人逮捕での衝撃的な冤罪判明に始まり、足利事件の千葉刑務所からの劇的な釈放と再審無罪。そこに名張事件や大崎事件の再審開始決定、布川事件、東電女子社員殺人事件、東住吉事件など再審無罪判決を得たことが続き、更に袴田事件の再審開始と身柄釈放が重なったことで無実の人が犯人にされることがあると理解されるようになったからです。
しかし、警察も検察も変わりません。警察は誤った思い込みで無実の人に自白を強いた上に証拠を捏造し、検察は無実の証拠を隠して冤罪を作り続けています。
台湾では 1982 年に起きた銀行強盗事件で犯人として逮捕された人が自殺した後、真犯人が逮捕されたことから事件関係者の証拠閲覧権、取り調べの全録音、弁護士立ち会い取り調べなど、冤罪を生まないための法整備をしたそうです。
日本はどうだったでしょうか。
同じ 1980 年代に免田事件、島田事件、財田川事件、松山事件と4人の死刑事件で冤罪が判明しました。
台湾では銀行強盗の冤罪捜査に関わった警察官は中国大陸に逃亡したそうですが、日本では、どの事件の捜査をした警察官も堂々と警察官を続けましたし、何も変わりませんでした。変わらないばかりか、検察は首脳会議を開いて「無罪判決になったのは未提出の証拠を出し過ぎたせいだ。以後、未提出である証拠は出さない」と決めたのです。
その通りに、今も各地で闘う仲間の裁判では検察の証拠隠しに苦しめられています。
この異常さは常軌を逸しています。人間の心があるとも思えません。
私たちは警察の自白強要と証拠捏造、検察の証拠隠しの事実を知っています。経験しています。その嘘と出鱈目に苦しめられました。この犯罪的な行為を止めさせない限りは、これからも同じように冤罪犠牲者は作られると思っています。
全国に存在して声を上げないでいる冤罪体験者の声を結集しまして、台湾やアメリカのように、日本でも冤罪を防止する法律を制定させる活動をすると決めました。ぜひ、あなたも活動に参加してください。

2019 年 2 月吉日
冤罪犠牲者の会準備会一同



 三重・名張毒ぶどう酒事件 

事件発生 58 年行動ひらく

3月28日、名古屋市および各地で
三重・名張毒ぶどう酒事件は、無実を訴えていた奥西勝さんが 15 年 10 月に獄死し、現在、その遺志を継いで妹の岡美代子さん(89 歳)が第 10 次の再審をたたかっています。
しかし名古屋高裁刑事1部(山口裕之裁判長)は 17 年 12 月、三者協議も開かず、弁護団の提出した新証拠も取調べないまま、再審請求を棄却しました。それから1年4ヵ月、不服申立て受けた同高裁刑事2部(高橋徹裁判長)も、三者協議をおこなわず、さらに弁護団の求めた証拠(封緘紙)の再測定について秘密裏に検察に意見を聞いていたことが明らかになるなど不公正な訴訟指揮をしています。

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このような状況を許さず、一日も早い再審開始を勝ちとろうと、国民救援会、再審・えん罪事件全国連絡会、名張事件「全国の会」の呼びかけで、3月 28 日に「事件発生 58年行動」がとりくまれました。
高裁所在地の名古屋市では、多くの人が行き交う大須観音前で、50 人以上が参加し、横断幕を広げ、ビラを入れたテッシュ930個を配り、104人分の署名を集めました。
午前中に松橋事件で再審無罪判決が出たことも受け、ウソの「自白」や証拠隠しは名張事件とも共通する問題であると指摘し、支援を呼びかけました。行動に駆けつけた袴田事件の袴田秀子さんは「奥西さんは本当に無念だったと思います。再審開始をぜひお願いします」、再審が確定した湖東記念病院人工呼吸器事件の西山美香さんも「裁判所は三者協議もしない、新証拠も見ない。記録をしっかり見れば奥西さんが犯人でないことははっきりわかる」と支援を訴えました。
宣伝後、名古屋高裁に対し、三者協議を開き、新証拠を調べ、一日も早く再審開始決定を出すよう要請し、署名1652人分(累計2万1448人分)を提出しました。つづいて、高検に対し、隠している証拠を開示するよう要請しました。この日の行動には、愛知、東京、静岡、岐阜、滋賀、奈良、大阪、兵庫から参加しました。
全国では呼びかけに応えて、東京(錦糸町駅前、八王子駅前)、兵庫(神戸駅)などでも行動がとりくまれました。


 静岡・袴田事件 

再収監させないと決意

東京で全国集会ひらき170人参加

再審を求めて最高裁でたたかっている袴田事件。再収監を許すなと3月23日、東京・明治大学リバティアカデミーで「袴田巖さんの再審開始を!再収監を許さない3・23全国集会」が開かれ、170 人が参加しました。
集会の冒頭にラップミュージシャンのダースレイダーさんとマイク・サン・ライフがミニライブを披露しました。ダースレイダーさんは「男は 52 年間、ずっとファイティングポーズ」などと、裁判をたたかう袴田さんの生き様を描いた即興のラップを披露。ビートを刻みながら語るように歌い、「どうしたどうした大島!パンチが当たるのが怖いのか、目の前に立たないのか。それでも男はファイティングポーズ」と、事実と正面から向き合わずに再審を棄却した東京高裁の大島隆明裁判長のことも鋭く批判しました。
サンデューさんは、コンビニ強盗の疑いで逮捕され、無罪判決を勝ちとった自身の体験を報告。コンビニ店員が「この人、常連でよく店に来ます」と写真を指差したことが「被害店舗の店員が指を差し『この人が犯人です』と証言した」という調書になったことなど、冤罪が作られたとエピソードを語りました。その後マイク・サン・ライフのメンバーを呼びこみ、「ありがとう」など2曲を披露しました。
つづいて弁護団の西澤美和子弁護士が報告。新証拠を旧証拠と合わせて総合評価して再審を開いた静岡地裁決定に対して、東京高裁は証拠を個別に攻撃して排除していく判断をしたと指摘し、「最高裁判例である白鳥・財田川決定の考え方に忠実になれば、このやり方が許されるのか疑問だ」などと述べました。
今後の最高裁でのたたかい方について、弁護団が理屈の部分で高裁決定の問題を指摘していくと同時に、支援者が裁判所の外で「こんなにひどい事件が起きているんだ」と運動を広げることに大きな意味があると締めくくりました。
その後は各支援団体からアピールがおこなわれ、日本プロボクシング協会、冤罪犠牲者の会、再審法改正をめざす市民の会準備会などが発言しました。
袴田巖さんの姉・秀子さんは、「再収監という話もあるが、今現在の巖と仲良く暮らしていこうと思っている。(再審が)50 年でダメなら 100 年頑張る。ご支援をお願いします」と述べました。


 報告 

再審のルールを作ろう!

「再審法改正をめざす市民の会」(準備会事務局) 客野美喜子

昨年末の「再審・えん罪事件全国連絡会」第27回総会(2018年12月13日)において予告したとおり、現在、「再審法改正をめざす市民の会」結成に向けての準備を着々と進めています。
第1回(2月14日)・第2回(4月2日)準備会には、多数の弁護士・学者・市民が結集し、運営委員に就任する約30名の中から、下記の方々が共同代表(候補)に選出されました(敬称略)。
 宇都宮健児 弁護士・元日弁連会長 
 木谷 明  弁護士・元裁判官
 桜井 昌司  布川事件国賠原告・冤罪犠牲者
 周防 正行  映画監督
 村井 俊邦  一橋大学名誉教授
 青木 惠子   東住吉事件国賠原告・冤罪犠牲者
 伊賀カズミ  関西冤罪事件連絡会代表

上記準備会での熱心な討論の結果、「冤罪者を救済するための再審のルール作り」という会の
目的を確認するとともに、当面の主な目標として、下記3項目を掲げることに合意しました。
 1.再審のためのすべての証拠開示
 2.検察官の不服申立の禁止
 3.再審における手続法の整備
正式な結成集会は、5月20日、すなわち「白鳥決定44周年」、「裁判員制度開始から10年」という刑事裁判の節目にあたる日を予定しています(17時半から19時半、衆議院第2議員会館内)。
その結成直前プレ企画として、4月2日に開催した院内集会「松橋事件を教訓に~再審にルールを!」には、報道関係者も含めて約90名が参加し、ほぼ満席の盛況となりました。
松橋事件弁護団共同代表の齋藤誠弁護士による基調報告は、3月28日の再審無罪判決の直後というタイムリーな内容で、とくに検察の倉庫で証拠品を見つけた実体験にもとづく「証拠開示の重要性」には、非常に説得力がありました。大崎事件弁護団事務局長の鴨志田祐美弁護士は、開始決定のたびに検察が不服を申し立てる「再審妨害」は、もはや個別の問題ではなく法制度の問題であると強調。周防正行監督、「冤罪犠牲者の会」の青木惠子さんと桜井昌司さん、指宿誠成城大学教授、高見澤昭治弁護士も、それぞれの立場から発言。主催者を代表した開会挨拶は、木谷明弁護士。閉会挨拶は、宇都宮健児弁護士が行いました。
今回の院内集会では、松橋事件の具体的な事実を示すことによって、再審の現状や問題点を顕在化させ、再審法改正が喫緊の課題であることを強く訴えることができました。今後も同様に、湖東記念病院事件(3月18日再審開始確定)、袴田事件、大崎事件、日野町事件をはじめとする後続事件の進展と有機的に結び付けて運動を展開していきます。みなさまのご支援とご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。


無実の死刑囚竹内景助 さん

三鷹再審請求事件の開始決定に向けて

高見澤昭治 弁護士

一 三鷹事件の特徴と時代状況

1949年7月15日に三鷹駅の電車区構内に停留していた無人電車が暴走し、駅構内を歩いていた六名が死亡、十数名が重軽傷を負った三鷹事件から、間もなく70年を迎えようとしている。
その後、三鷹事件やその前後に発生した下山、松川事件を梃にしたかのように、占領政策が転換され、大量の人員整理やレッドパージが行われ、翌年、朝鮮戦争に米軍が出兵した。
そうした状況の中、三鷹事件では、逮捕された中で、二人が自白に追い込まれたが、非共産党員であった竹内景助さんは、厳しい取調べにもかかわらず、19日間、事件との関わりを否定し続けた。ところが、起訴直前に、共産党員らと共同犯行だとされると、死刑判決を免れないと考えて、自分一人が先頭車両の運転台に乗り込んで、電車を暴走させた単独犯行であると“自白”したものの、結局、外の九名と一緒に、共同正犯だとして起訴された。

二 確定審の経過と第一次再審請求

東京地裁は、共同謀議・共同正犯で逮捕、起訴された共産党員9名については「空中楼閣」だとして無罪を言渡した。ところが、途中で無実を主張したにもかかわらず、竹内さんについては無期懲役とした。証拠としては竹内さんの自白と、現場近くで竹内さんを見たという一人の目撃供述だけであった。
東京高裁は他の被告の控訴を棄却したものの、竹内さんに対して事実調べを全くせずに、いきなり死刑判決を下した。竹内さんは、高裁の死刑判決を下されたことで、死刑を免れるために虚偽の単独犯行を申立たことの間違いに気づき、無実だとする長大な上告趣意書を提出した。しかし、最高裁は、8対7の僅差で上告を棄却した。
竹内さんは判決に納得できず、再審請求を申立、文字通り、懸命になって詳細な再審申立理由補足書や上申書を提出した。ところが、申立から10年近く放置され、1967年1月18日に45歳で死亡してしまった。死因は「脳腫瘍」と診断された。

三 第二次再審申立に至る経過

竹内さんが死亡した後も、妻の政さんはじめ、三鷹事件についての運動は続いていたが、なぜか死後再審が申立てられることなく、1984年には政さんも亡くなられしまった。
それからも三鷹事件を忘れないための集会は続けられていたようであるが、私は新聞で報道された事件発生から59年目の小さな集会に参加し、なぜこのような重大な冤罪事件が放置されているのか疑問を持ち、裁判記録などを徹底的に調べて、『無実の死刑囚 三鷹事件 竹内景助』(日本評論社刊)を出版した。
その後、本を贈呈した竹内さんの長男から、自分が再審請求人となるので、父親の無念を晴らすために、何としても無罪を勝ち取って欲しいと依頼され、多くの再審事件で経験を積んでいる野嶋真人弁護士を主任弁護人とし、米倉勉、中村忠史、佃克彦と私の5人で弁護団を組み、2011年11月10日に再審請求書を提出し、途中で若手の中野大仁弁護士も加わった。

四 再審開始決定に向けた取り組み

弁護団は、再審請求で、三鷹事件は単独で起こせるものではなく、複数の者が実行行為に関与していることを、さまざまな新証拠を踏まえて主張・立証した。その要点は、1.二両目のパンタグラフも上がっていたこと、2.最後尾の前照灯が点灯していたこと、3.暴走した電車の先頭車両と最後尾車両の戸閉連動スイッチが「非連動」になっていたこと、4最後尾車両の手ブレーキが緩められていたことである。
1ついては、脱線して電柱などに衝突したために上昇したものでなく、暴走前に二両目の運転室に入って操作する必要があることを、交通工学が専門の曽根悟東大名誉教授の鑑定書を新証拠として提出した。また234については、最後尾車両に入って操作する必要があることを、「運転取扱心得」や、当時の実態に詳しい元運転士の意見書等を提出し、論証した。
また、唯一の情況証拠とされる目撃供述についても、現場に類似した状況の下で、実際に目撃が可能かどうか実験した結果、それがほとんど不可能であることについて、心理学の専門家である厳島行雄日大教授の鑑定書を提出した。
自白については、客観的な事実との矛盾や、供述の変遷を徹底的に指摘し、信用性が全く存在しないことを論証した。さらに、新たに開示された証拠によって、竹内さんは事件発生時に自宅にいたという、新たなアリバイが立証された。

五 再審開始決定に対する期待

三鷹再審請求事件は、東京高裁第4刑事部に係属し、これまで25回の三者協議を重ね、この間、請求人側から、再審理由補充書や証拠開示命令申立書を多数回にわたって提出し、検察官から、その都度、反論と反証がなされたが、裁判所の開示勧告もあり、ある程度の証拠が開示されたことも事実である。
そうした記録を精査したものと思われるが、一昨年末に大阪高裁から移動してきた後藤眞理子裁判長から、申立からすでに7年が経過しており、双方とも主張・立証は尽くされたと思うので、決定を出す段階ではないかとの判断が示された。
そして、裁判所の要求に従って、昨年9月末に、弁護人から纏めの補充意見書と請求人の意見書を提出したところ、11月末に検察側がさらに詳細な反論の意見書が提出されたので、昨年末に最後の補充意見書を提出した。請求人の体調のこともあり、出来るだけ早くに、遅くとも今年度中に、再審開始決定が下されることを切望しているところである。

※機関誌「青年法律家」2019 年 1 月 25 日付(No.575)より転載


 当面の日程 

▼4月 25 日(木)最高裁係属4事件要請行動(午前 11 時、最高裁西門に 10 分前集合)
▼5月 17 日(金)名張毒ぶどう酒事件要請行動(午後1時 30 分、名古屋高裁および高検)
▼5月 20 日(月)再審法改正をめざす市民の会結成集会
(午後 5 時 30 分、衆議院第二議員会館 第一会議室)※会場は変更する場合があります。
▼5月 27 日(月)布川国賠判決(午後 4 時、東京地裁 103 号法廷)
▼6月1日~2日(土、日)第 29 回裁判勝利をめざす全国交流集会
 ●日時:1日午後1時~2日午後0時30分まで ●場所:東京・平和と労働センター
 ●記念講演:伊賀興一弁護士「日野町事件の再審開始決定を受けて―(仮)」
 ●参加費:3,000 円(資料代、報告集代金含む)
 ●分科会=①労働事件②冤罪・再審事件③大衆的裁判闘争のすすめ

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